2018年09月14日

臨床における、大人と子どものギャップ

私の個人事業である「オープンマインド」のブログを読んでいただき、ありがとうございます。
この個人事業がメインなのですが、都内のインターナショナル・スクールでもスクール・カウンセラー
として働いています。心理系の仕事ではいくつかの職場や職種を兼任しているというのは、むしろ
ふつうなことだと思います。

そのインターナショナル・スクールで日々思うことがあります。複雑になるのですがちょっと
書いてみたいと思います。

そもそも私はアメリカで臨床心理学というか、精神医学に近いところでトレーニングを受けています。
これはご存じの方もいるかと思うのですが、DSM(診断と統計のためのマニュアル、アメリカ
精神医学会発刊)という診断基準がありそれだけではないにせよ、それを知っていて使えることが
専門家としての一つの要件となります。(国際的にはICDという、DSMとはちょっと違うマニュアルが
存在します。)
また発達心理学や、精神分析的な発達の理論や実践なども学びました。

ですが臨床心理とか精神医学というのは「うまくつながっていない」領域なのです。
どういうことかと言うと、まずフロイトなどがいて、大人の精神医学、精神療法(心理療法)
などが開発された。大人でなんらかの原因不明の(=身体的な原因のない)症状がある人の
話を聞いていると、どうも過去、特に子ども時代に症状のルーツがあるらしいというのが
分かってきたのです。なので症状の描写や、その治療法・対策などは主に大人を対象として
発展してきたと言えます。

その頃はヴィクトリア朝とかですので、子どもの権利もへったくれもなかった時代だと
思うので、現在問題になっている児童虐待云々も社会的には注目も、問題視もされていなかった
でしょう。しかし実際フロイトも、さまざまな神経症を呈する大人の話を聞いているうちに、
虐待がベースにあるのでは、という疑い~確信を抱くに至ります。

そして彼は「誘惑理論(seduction theory)」を打ち立てるのですが、当時、社会的にも
性的な抑圧が強かった時代に、子どもが性的虐待を受けると神経症になる、といった考えは
受け入れられがたかったようで、その理論を投げ捨てます。代わりに「自我・イド・超自我」
という3つのこころの部分からこころが形成されているという理論を打ち立てたのです。

この、「投げ捨てた」行為のためにフロイトは後世の臨床家などから責められることになる
のですが、現代でさえ臨床に携わっている人たち100%に受け入れられているとは言いがたい
最初の理論を、彼や彼の弟子たちに当時受け入れろと言っても、難しかっただろうとも
思います。

そうした「否定」はもちろん子どもや思春期の臨床をするときにも存在します。子どもの診断
(つまりほぼ発達障害の・・・子どもの統合失調症とか、気分障害とかも言われることは
あるのですが、歴史的な変遷もあります)の主なものは自閉症系(自閉症スペクトラム
障害、ASD)やADHDです。子どもはこころの働き方や表現の仕方が大人とは違うので、同じ
ベースで考えられないということがありますが、こうした子どもにつく診断の背後に虐待(歴)
が隠れていることも、少なくないと思います。また、一口に「子ども」と言っても、成長につれ
めまぐるしく変わっていくのが子どもです。しかし、一人の人(子ども)として見れば、
お母さんのおなかの中にいたときから将来までつながっていますから、そうした流れの中で、
「どうやったら現状から、将来の方向性を少しでもましな方に持って行けるだろう?」と
考えながら臨床をすることになります。(それは、考えてみれば大人についても同じですが
・・・「発達障害」という呼び方の方が受け入れやすかったということなのでしょう。)

また、最近大人の発達障害ということもさかんに言われるようになり、「実はADHDだった」
「実はアスペルガーだった」といったことを口にする人が少なくありません。
以前からのキャラクター障害、人格(パーソナリティ)障害の存在や、その流れを考えると
字義通り受け取れず首をかしげてしまう面もあるのですが、通常の不安症、気分障害などや
人格障害に合わせて発達障害も加味しないといけない時代になっているのは、たしかです。

(しかし、元々神経症や人格障害も親子関係や家庭、育ちの問題に端を発しているので、
わざわざ「発達に障害があった」と言う必要もないとも思われるのですが・・・)

そして、さらに言えばシニア層の、いわゆる認知症などにも心理的要因・原因はあると
思われるのですが、それも十分に解明されていないように見えます。

要は、本来つながっているはずの子ども→大人→シニアという流れが、臨床心理や精神医学の
理論では分断されてしまっている、ということです。これはそもそも障害の原因となる
トラウマが「分断」を生み出すことを考えると、とても面白い構造であるように思います。

こうした「分断」を考えず、とりあえずあまり問題のない生活が送れるように比較的
短期で終えられる治療をするというのも今の主流ではあります。しかし根本的には、
本当に先天的なものでなければ(というのは、乳幼児期に起こったことは検証もしないまま
なんとなく「先天的」「生まれつき」と呼ばれることも多いのです)、ネガティブな効果を
取り去っていくことも可能だと思われます。
また、オープンマインドではやっていませんが、家族療法的アプローチも家族の中の
違う世代に同時に触れられるということで、こうした「分断」を別の角度から扱う方法に
なるのかもしれません。