2018年11月01日

メンタルヘルスとはそもそも何か

今日はとても大きなお題を持ってきてしまいました。
実はまた告知いたしますが、知り合いのヨガ・スタジオのワークショップのシリーズの
中で、「メンタルヘルス」についてお話しすることになっています。しかし、「メンタル
ヘルス」自体はとても大きなテーマです。

前にちょっと書きましたが、医療において「こころと身体」を二分した時点で、精神科
のようなこころのケアが必然となるといった歴史的経緯もあります。しかしもちろん、
こころ自体は人間の歴史がある限り、ずっと存在してはいたのです・・・

アメリカの「診断と統計のためのマニュアル(DSM)」には山のような精神的・心理的
障害が掲載されていますが(ご覧になったことがある方は少ないかも知れませんが、
それこそ電話帳みたいなサイズ感です)、それもとりあえずアメリカ精神医学会が
「こうした症状が見られたときこういう診断をつけよう」と話し合いの末決めたことに
過ぎません。

そして、「何が『正常』であり、何が『異常』である(と見なされる)か?」は社会に
よって違います。たとえば、最近日本でも外国人居住者が増えています。ごく単純に
言えばなのですが、日本社会の基準に基づいて見れば、外国人のふるまいは「異常」と
見なされる確率は、どうしても高くなってしまう可能性があります。(その辺を勘案
するのも専門家の仕事の一つです。)

「こころの病や障害なんて、そんなもの実在しないんでは?」という懐疑論や否定も
あるかと思いますが、現場にいる者としてはそんなことはない、と言わざるをえません。
例えばこころの障害を放っておくと身体的なものに「移行」していってしまうことも
ありますし、こころの状態を改善していくと身体的な健康や、全体的な生活の質
(QOL)も上がっていくことが多いのです。

特に思うのは自己評価が極端に低かったり、恒常的にうつや漠然とした(あるいは
はっきりした)不安のある場合。例えば自己評価が低いとか、自己不信があったり、
自信がない人は、たとえ自分の感じていることや考えていることに根拠があったり、
自分の持っているものに価値があってもそれを効果的に伝えていくことは簡単では
ありません。そのため対人関係で不利な立場になったり、仕事をしてもなかなか
いい条件にならなかったり、というようなことがあるのです。

なので心理療法などで自己評価、自信、うつ、不安などについてワークしていくことは、
多少時間がかかっても確実に人生や人間関係などをよりよい方向へ変えていくことに
なると言えます。

また、そこまで自己評価が低いとか、常にうつや不安と闘っているというような
ことがなく、もっとある程度のレベルで生活(仕事や学業、家庭生活、プライベート
など)を送れていたとしても、日々起こるストレスをずっとためこんでいたり、
混乱した状況に自分がなにを感じているか分からなくなったり、難しい場面でどう
コミュニケーションすればいいのか分からない・・・といった状況を放っておくより、
手が打てた方がよいメンタルの状態が保てるのは明らかです。これは厳密に言えば
「心理療法」というより「カウンセリング」の域に属しますが(※注)、メンタルの
状態をメンテナンスしたり、向上させたりすることはできるわけです。

何かに興味を持っていたり、何かを探しているとき、情報がパッと目に飛び込んで
くるといった経験はありませんか? これは私たちの「知覚」(この場合、視覚ですが)
というものが思ったより受け身なものではなく、もっと能動的なこころの働きに
基づいているという証拠でもあるのです。同様に、対人関係についても知覚や認知があり、
対人関係について「こう」と思い込んでいることは、まさしくその状況を引き起こして
しまうくらいのパワーを持っている場合があります。こころにあることに耳を傾け、
働きかけていくことは大いに意味のあることなのです。

最近、そこここで「無意識」という言葉をよく聞くようになっています。社会で
こころ全般に対する興味が上がってきているのも事実ですが、無意識の作用が
それなりに重要であるということが認識されてきているのも良いことです。
特に精神力動的なアプローチでは、意識的なところからスタートし、意識と無意識の
境界に目を向けていきます。「無意識」というからには直接には「知る」ことが
難しく、「なんとなくそこにある」ということが感じられたり、また無意識からの
反応(と思われる)などを手がかりにアクセスしていきます。リラックスした状態や
創造的な状態(アートなど)で無意識はアクセスしやすくなるので、無意識の内容は
その表面に(「前意識」と言います)上がってきたとき多少分かることになります。

根気のいる作業ではあるのですが、これは以前からさまざまな創造的な人たちによっても
賞賛され、活用されてきた方法でもあります。

こうした無意識の存在や作用があり、表面上は問題なく社会生活が送れている人で
あっても、無意識に注意を向けるべきものを抱え込んでいる場合もあり、そうした
心理療法というのもあります。この場合はその人の現状(仕事であるとか、家庭生活
とか)をなるべく脅かさないようにしながら、無意識にある(例えばトラウマなどを)
解消していく、というのが心理療法での作業になります。


※注: 元来アメリカでの定義では、「心理療法(サイコセラピー)」は人格の変化を
伴う深い治療、「カウンセリング」はそうした深いレベルでの変化を伴わない程度の
(適応を援助する、くらいの)治療とされてきた。
しかし、米大学院での「臨床心理学」(前者に相当する)と「カウンセリング心理学」
(後者に相当する)の境はあまりハッキリせず、現在ではどちらもどちらの領域も扱う
(また、臨床家一人一人が自分の分野を選ぶ)というのが実情のようである。
日本では「カウンセリング」という言葉の方が一般化しており、心理療法・サイコセラピー
の方がやや聞き慣れないという印象がある。以前よりは「セラピスト」という言葉は
よく使われるようになっているように見える。