2018年11月03日

情緒的ネグレクト

「情緒的ネグレクト」とは、あまり聞き慣れない言葉かもしれません。「ネグレクト」
というとふつう虐待の一種で、たとえば小さい子どもに食べ物をやらない、必要な
世話や保護を与えないといった悲惨な状態を指し、最悪の場合、これでは子どもは
生き延びることができません。生き延びたとしても基本的な「生きることの問題」を
抱えてしまうことが多いような状況を言います。

それとはまたやや別のなのですが、いわゆる衣食住など、生きるのに必要なものは
揃っており、多分両親もいる。学校にもそれなりに行ったし(場合によってはいい学校)、
仕事もしている。家庭を持っている場合もあるでしょうが、それなのに情緒面、つまりは
気持ち、感情、といったところがほとんどタッチされないまま育ったような人もいます。

こうした人が、情緒面・社会面で難しさを抱えたり、人づき合いやコミュニケーションが
苦手だったとしても、あながち不思議ではないのではないでしょうか。いろいろな言葉が
使われていますが、例えば「発達障害的」であるとか、「アダルトチルドレン(AC)」
といった言葉も、こうした育ちに関連して言われていることもあるように思います。

行ってみれば両親の立場からすれば、世話は焼く。食事もさせるし、お風呂に入れたり
服を着せたり・・・学校に行かせる。レジャーや旅行さえあるかもしれません。しかし、
どこか子どもとの感情的交流というか、人間的な触れあいのようなものが欠落しており、
子どもはそうしたところを理解できないまま世の中に出ていくことになるのです。

こうした場合、カウンセリング・心理療法では「情緒的な育て直し」のようなことが
必要となってきます。トラウマの場合とちょっと似ているのですが、感情が抜けている
(分離している)ところをはめていく必要があるのです。具体的には、現在や過去の
経験を振り返りながら、「何を感じただろうか?」「感情を当てはめたら?」という
作業をしていくことになるでしょう。

それは「なんとなく」「モヤモヤ」・・・といった感情に言葉を当てはめていく過程
でもあります。究極言葉でなくてもいいのですが、象徴化することが作業として必要
だと言われています。

人間には「喜怒哀楽」と言われる様々な感情があり(実際には、語彙としては喜怒哀楽
よりはるかに多く、ことに日本語は感情的・情緒的表現の豊富な言語であると言えます)、
感情が伴ってこそ、経験は生き生きとして、記憶にも残りやすいものとなります。
感情が動いているということはより深い部分の自分(心理的にも、脳科学的にも)が
動いている、ということだからです。

感情の欠落、ということで思い浮かぶのはまたアレキチミアです。アレキチミアとは、
心身症に伴うと言われていることで、感情を感じられなくなっている状態(失感情症)
です。アレキチミアはそうした身体の病状とも関係があり、また機能不全家族などとも
関連づけられています。

家族は、みな「外」(典型的には学校や職場など)でいろいろな経験をして帰ってきます。
それをできたら家庭では整理したり、癒やしたりしたいのですが、「機能不全家族」
(この呼び名が適切か、また議論のあるところですが)の場合、自分たちが感情的な
問題を抱えたコミュニケーション(またはその不在)になってしまっているため、
こうした「外」で受けたストレスの解消や改善はしにくくなります。

アレキチミアとはまた違いますが、性依存症のような場合にも、いわば性とそれに
関連した肉体的なところでしか、「気持ち」(に近いもの)を感じられなくなっている、
という状態があるようです。

このように育つ過程での情緒的ネグレクト、またその後の感情的生活の貧しさは
いろいろな「問題」として展開してくる可能性があります。感情的経験が十分でない
場合、明らかに文学や映画、芸術といった、人間生活とその感情を織りこんだものに
触れることは、経験を補う上で役立つように思います。

しかしそうした知的・芸術的生活にも限界がある場合もあり、そうした道を選んだとき
には、その仕事を通じた人との出会いや交流が、より実質的な感情的体験を与えてくれる
ものになるのかもしれません。実際にはそうした人間的交流、感情的体験がまた回り
回って芸術や学問を豊かにしていくのかもしれません。

近年、日本の多くの場所での生活は人と人との触れあいが欠けた生活になりつつあります。
自動化、機械化、IT化は便利ではあるのですが、人と人とがコミュニケーションをする
際の面倒くささ、ややこしさはない一方、人間をより「非感情的」な存在ににして
しまっており、その副作用が社会のあちこちに生じている可能性もあります。人と人との
触れあいもですし、年齢を超えたコミュニティ的なつきあい、またペットなど動物との
触れあい、自然や草花と親しむこと・・・すべてウェル・ビーイングのためには、大切な
ことと思われます。