2019年02月04日

ときには身勝手なくらいがいい!?

浅草の浅草寺に行く機会がありました。前回行ったのはいつだったのか、覚えていないのですが、多分10年以上くらい経っているのでは? と思います。近くを通ったことは何度もあったのに、わざわざ寄ろうとしなかったのでした。

あいかわらずの混雑ぶりでしたが、立春ということも手伝ってか、春節の始まった中国の人たちが目立っていたようでした。たまたまいっしょに行った女性が中国ビジネスと関わりがあり、話してくれたのですが、なんでも春節のお休みが終わっても仕事に戻ってこなかったり、春節で実家に帰ったまま、帰ってこなくて辞めてしまったり人などもいるということ。そのため、春節明けは工場がまともに稼働しなくなるような状態になってしまう、ということでした。

仕事が嫌だ、つまらない、生活を変えたい・・・等々のとき、まじめであれば「やらなければ」、「辞めてはいけない」という気持ちが強く、どんなにつらくても脱出するのが難しくなってしまいます。場合によっては限界を超えて働いたり、うつになったり、過労死したりも考えられます。しかし、究極のところ人間は自分のこころや身体の感覚に従って、動きを変えるしかありません。もし仕事などがあまりにつらい、合わないのであれば、身勝手に辞めてしまう、変えてしまうもありだと思うのです。

ビジネスをやる側から言えば突然逃げてしまうなど迷惑千万、言語道断な行為で、まったく考えられないことです。あらかじめ不足しそうな人材を確保しておくこともある、ということでしたが、一方で、身勝手であっても、即時自分の思う通りにできるというのも「強み」だな、と思ってしまったのです。

日本人も中国人も同じアジア人、私のやっていた米国の文化心理学では双方とも「集合主義collectivistic」に分類されていたのですが、日本人と中国人の集合的である方法、群れる群れ方は違うように思います。中国方面や中国人の経験があまりなく、なんとなく印象でしかないのですが、中国人は日本人より自己主張が強く、上記のような身勝手なところも多く見受けられるように思えます。そういう点では中国人は個人主義的なところも合わせ持っているのかもしれません。一方で、儒教文化の国であり、家族や同胞を大切にするというのもまた中国人なのでしょう。

いろいろな文化に接していると、「そうなのだな」と違いに思い当たることがあります。「日本人だから」「日本人でないから」と、単純に二分で考えるよりは、文化の違う人たちからも柔軟にいろいろな態度や考え方、生き方、処世術などを学んで取り入れていきたいものです。日本には比類ない古代からの文化や伝統があり、いろいろなものを取り入れてもゆるがないものと思っています。個々人はまた国や文化総体と違うところもあるかと思うのですが、日本人としてのアイデンティティをしっかり持って、グローバル化時代を生き抜いていきたいものです。