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2019年07月08日

人格に「奥行き」はあるか?

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30年来ダンスをやっています。私にとって空間で踊られるダンスは「奥行きのある」「3D」なものです。それ以前は美術(絵画)に興味を持っており、絵画にも遠近法を使ったりなど「奥行き」がないわけではないのですが、やはり空間の中を実際に動いて近づいたり遠ざかったりできるという点で、ダンスの方が3Dであると感じてきました。あまり動かないダンスもありますが、ダンスはスタジオや舞台といったスペースを行ったり来たりしたり、ときにはそれこそ縦横無尽に使ったりします。舞台空間で言えば客席もまた、ダンスの空間の一部であると言えます。





今、あるダンスのワークショップに関わっている関係で、またダンスや空間、奥行きといったことについて考える機会が増えています。そこでふと思ったのが、「人格に奥行きはあるのか?」という疑問です。





結論から言うと、あるのではないでしょうか。いわゆる「表面的な」、「刹那的な」、「ぺらぺらな」人には、あまり奥行きは感じられません。ほかから得た情報を右から左へ流しており、あまり自分の中で考えたり感じたりしていない人、プロセスしていない人とでも言うのでしょうか。それはそれで、世渡りに好都合な面があるなど、一つの「生き方」なのかもしれませんが、対話してあまり魅力を感じる相手ではないのかもしれません。





それに対し、「奥行きのある人」というのは、やはりいろいろな苦労や経験をしていたり、自分でものを考えたり感じたり、試行錯誤してきたような人ではないでしょうか。人の内面には広い世界があり、そことしっかりつながっている(ゆえに奥行きがある)、とでも言ったらいいのでしょうか。





もっと精神分析的に言えば、意識というのと無意識というのがあるときに、その無意識の部分の存在をしっかり自覚しつつ、それとつながっている人、とも言えるでしょうか。





無意識はなにせ「無意識」ですから、本人にも十分に自覚できるところではないと言えます。ただ、何らかの作業―心理療法、夢、創作活動など―を通じて、そこに思いを致したりアクセスしやすくなったりするというのは、知られていることです。こうした連絡のある人を「豊かである」、「奥行きがある」と知覚しているのかもしれません。





日本の社会は残念ながら芸術、文芸などに風当たりが強かったり、理解がなかったりするところもありますが、他方でこうした豊かさはそれが分かる人には認めてもらえるものかと思います。また、普遍的というか、文化や国境を越えても、こうした「奥行き」、「豊かさ」は相手に伝わるのではないでしょうか。





グローバル化、と言いますが、それこそある意味表面的で実利的な「英語が話せるか話せないか」といった指標だけではなく、「真に文化を超えて通用するものはなにか」について考えてみてもいいかと思います。心理療法で培われる豊かさや奥行きは、そうした本物の価値や存在感であることを願いつつ、臨床をしています。


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