2019年09月23日

異文化の「風景(見かけ)」と「自然(実際)」

突然ですが、モンゴルからは、日本にお相撲さんが来ますね。モンゴルには相撲に似た競技があるらしく、朝青龍関をはじめとする強い力士たちが日本にやってきて活躍してきました。私が2,3年前に職場で出会った人にモンゴル人の心理士の女性がいました。ちょっと親しくなって、カフェで話していたときモンゴルというと相撲のイメージがあると言ったら、ちょっとショックを受けていたようでした。彼女はとてもファッショナブルな美人さんで、全然「お相撲」のイメージはない人でしたが・・・ちょっと言うことを誤ったのかも知れません。(そういうときはフォローしておけば大丈夫です。)

モンゴルの平原とユルト。空が広そうですね~。

正直、モンゴルの具体的なイメージや深い知識はあまりありません。行ったこともないので当然ですが、昔だとチンギス・ハンだとか、遊牧民がいてユルトというテントがあって、首都ウランバートルの外にはすぐ砂漠が広がっていて・・・ゴビ砂漠があって、とかそれくらいです。私たちの多くにとって、特定の国や文化についての知識は、特に学んだりよく行ったり住んだことがあるということがない限り、それくらいのものかと思います。

日本文化についても、「サクラ・ゲイシャ・フジヤマ」のようなイメージがありますが、これではなんだか絵みたいで、これだけで判断されたらショックなものがあります。経済的・文化的交流を通じて日本についてのイメージは一昔前よりもっと多角的になってきていると思いたいですが、あまり関心を持っていない人にとってはそれくらいのものかもしれません。しかし、すでに日本を訪れているインバウンドや移民は、もっと豊かなイメージや体験を~ネガティブなものも含め~持っているに違いありません。実際に体験しているという意味で、彼らは貴重な存在です。

「サクラ・ゲイシャ・フジヤマ」の時点が「風景」とも言える段階です。断片的なイメージでしかなく、偏見もあり、平面的です。それに対し、文化や言語などを学んだり、実際に訪れたり住んだりすることによって、「風景」の中に入っていくことになり、文化は歩き回ることのできる「自然」となります。それは複雑な体験であり、試行錯誤や、成功や失敗もあり、発見や驚きもあるでしょう。また、一口に文化適応と言っても、一見さん的な観光と、数ヶ月くらい住むのと、2年3年、あるいは5年以上、10年以上住んでいくのとではいろいろと違ってきます。

オープンマインドでは、そうした異文化の中を「歩き回る」のを助ける、という仕事を、これまでもやってきましたし、これからもやっていきたいと思っています。具体的には留学生や移住者などを双方向で援助してきました。日本から外へ、つまり海外で留学・赴任・在住している人や、外から日本へやってきている留学生や移民の方などです。日本人の行き先としてはオーストラリア、東南アジア、ヨーロッパ、アフリカなど。外国の方はアメリカ、ヨーロッパ、インド、中国、韓国、アフリカ、中南米などの出身の方とお会いしたことがあります。言語は英語と日本語です。

異文化を訪れたり住んだりするということは、新たな体験をさせてくれるだけではなく、思わぬストレスやチャレンジに遭遇してしまうこともあり、ときにメンタルのバランスを崩す危険性もあります。そうした状態であれ、その予防のためであれ、これまでオープンマインドでは文化を行き来する方々のお役に立ってきました。今後、ますますそうしたニーズは増えるのではないかと思っています。何かのときに思い出していただけたら幸いです。