2019年10月30日

「働くことはいいことだ」文化、日本にも上陸か!?

「何を今さら言っているんだ」、と言われそうなタイトルですみません。もちろん、昔から日本人は勤勉さで知られてきていますし、それは「働きすぎ」と言われる今でもそうかと思います。

ただ、近年女性も稼ぎ手になるのが当然、女性も活躍、「女性が輝く」的なことが言われ、一昔前と違って女性だからと言ってうかうかしていられない状況になってきていると思います。進学にしても、以前なら女の子だから短大、専門、家政科、保育、等々といった風潮もあったかと思いますが、すでに女の子でも四大・理系といった選択肢が増えてきているようです。かつては「ゴールイン」と呼ばれた結婚にしても、結婚して家庭に収まり家事や子育てに専念する「専業主婦」は減っており、また専業主婦をしていても肩身の狭い思いをしている方が増えているようです。

振り返ってみて、私が20代にアメリカにいた頃、これと同じような状況があったのかも・・・と思っています。アメリカはプロテスタント(キリスト教の新教)の国で、「働くことはいいことだ」の国です。世界史で習った方もいるかと思いますが、プロテスタントとはヨーロッパにおいてルターやカルヴァンによってそれまでのカトリック(旧教)の腐敗に反発する形で始められました。労働を是とし、お金を稼ぐことを悪いこととしない、むしろ奨励するといった信念は、オランダやアメリカなどプロテスタントの国の発展に大きく寄与したとも言えそうです。

そのためか、アメリカには働くことをいいこと、望ましいこととする文化があります。特に能力があるのに持て余して働かなければ怠け者、またメンタルの問題を抱えた人であっても、もし何らかの手(つまり治療、セラピーなど)を使って働けるようになるならそうすべきであって、そうしないのは「病気」を言い訳にして怠けており、病気や障害から得られるそうした「利益」(secondary gain)にしがみついているのだとする、厳しい視点があります。私は臨床心理学の博士課程の1年目の臨床実習で、仲間や先生たちのそうした厳しい視点に接して、本当にびっくりしてしまいました・・・ そのためうつであれ不安であれ人格障害であれ何であれ、アメリカでの方ができるだけ「治そう」「根治しよう」という傾向が強いように思います。(そして、オープンマインドもそのスタンスに近いです。)

実際、本来働けるはずの人なのに、育った家庭環境や、不幸にして経験してしまったトラウマのために働けないか、働く能力が著しく阻害されているとすると、生涯にわたり1億~2億くらいの「経済的損失」になると計算されているようです。なにもかも経済で論じ、換金するのには抵抗がありますが、その人がもっと社会に関わっていき、もっと自分らしく自分を表現して活躍できるはずなのに、それがなんらかの形で阻害されているのはもったいないと私も考えています。

少子・高齢化といった流れもあり、「働くことはいいことだ」として、国民に税金を納めてもらうしかない社会になっているという事実はあるでしょう。だからといって、専業主婦(主夫)という選択をしてはいけないとは言えませんし、それは個人の自由です。専業主婦で、子どもや家族に時間やエネルギーを割いてあげられるのも、子どもや家族にとってもメリットが大きいでしょう。女性(女親)の負担があまりに多い日本社会の現状では、しわ寄せは子どもに行ってしまう可能性が大きいのではないかと危惧しています。保育や学校で求められる「細々とした、なくていいこと」が減るのが、女親の負担を減らすためにはいいのではないかと、個人的には考えています。