2021年02月06日

森会長問題発言と感情のプロセス

五輪組織委員会の森会長が、「女性の参加する会議は時間がかかる」という問題発言をして物議を呼んでいます。そもそも、オリンピック・パラリンピック自体、ある程度種目にもよりますが男女平等に参加する大会であり、パラリンピックは障害者のための大会であり、しかも国際的でメジャーなイベントでもあることから、常識として考えられない発言です。国際的にも、なぜこのような見解を持つ人をこうしたイベントのトップに据えたかという「常識」まで問われるのではないか、と思っています。NHKドラマ『いだてん』では、当時女性が競技に参加することの難しさが描かれているシーンがありましたが、森会長発言は時代錯誤もいいところです。会議などにおいて、違う属性の参加者(女性、障害者、マイノリティなど)に発言権を与えるのはごくごく当然のことであり、やるべきことです。

しかし、ここで思い当たったのは言葉やコミュニケーションにはジェンダー差(性差)が実際にある、ということです。男性の方が、情報や知識の伝達を好みますし、一方女性は気持ちや関わりに重点を置く、と言われています(キャロル・ギリガンという、アメリカのこの道の大家がいます)。必要なことだけパッパッと伝達していく男性スタイルは、効率的ではありますがともすれば感情や感覚といった側面、そのことに関わっているであろうほかの人たち、などを無視しがちということになります。「女性の話が長い」としたらそれは女性の一般的なスタイルであり、女性やその女性が悪いわけではない、ということになります。(つまり女性のあり方自体を批判していることになります。)

心理療法では、気持ちや感情のプロセスをうまくできない人の援助をすることが多いです。というのは、こうした人たちは必要な感情や身体からくるメッセージ(たとえば不快感、不満、怒り、悲しみ等)をカットまたはスルーして、どんどん先へ話を進めていってしまうのです。聴く側としてのこちらは、重要なものがあるのに、「あ、待って・・・」という気持ちになり、引き留めたり、それを後で振り返ったりします。そうやって大切なことをスルーしているということを徐々に自覚してもらうのです。感情や感覚を無視しつづけることで、ストレスがたまりやすくなり、心身の不調や障害にもつながりやすくなる傾向があります。また逆に、感情が溢れてしまっていたり感情に流されすぎるような人には、感情を「収める」ことを徐々に学んでもらいます。これらはすべて、心理療法の場合、基本やりとり(会話、対話)のなかで行われます。

たしかに感情など、より「豊かな」エレメントが含まれた話に慣れていない人には、まだるっこしい、効率的でないと感じられてしまうかもしれません。今回のことに関連して、ある知人の男性が「うちの奥さんは話が長くて・・・」と、おっしゃっていましたが、きっとその奥さんは気持ちやつながりを重視しているし、その方も面倒だなぁ・・・と思いつつ奥さんの話を聞いてあげているのでしょう。このブログでは「女性は話が長い」的方向で書いてきましたが、男性の一部に、ナルシシスティックな感じで話がやたら長い人がいる(そして、人を辟易させる)こともあるかと思います。

もう一つは、会議やミーティングなどグループ内に属性の違う人たちがいるとき、たしかに森会長が言った通り、一人が発言すると我も我も、となりがちな傾向はある、ということです。私自身も多文化の状況で経験があることですが、特に抑圧されているグループ(女性、マイノリティなど)では、他の似たような立場の人が発言する姿を見て、発言できるということに気づいたり、勇気をもらったり、あるいはライバル心を掻き立てられたりといったことがあります。当然、自分も何か言いたい、となるでしょう。公平性を図る必要はありますが、この辺をうまく収めるのはまさしく議事を進行する議長なりリーダーなりの腕の見せどころでしょう。また、参加する側も自分が言いたいことを人が言ってくれたら、それに共感して済ませる(=言わずに済ます)、といったテクニックも必要になってくるかと思います。

日本は女性、障害者、マイノリティなどダイバーシティやインクルージョンについて、まだまだ過渡期であることは否めません。と言いながら、このような国際的な大会でこういう「不祥事」が起きてしまったのは遺憾と言わざるを得ません。上に立つ人間は自分が特権的な盲目さに陥っていないか常に想像力や共感力を働かせるようにし(そのためにも心理療法は有効です)、自分の心ない発言が社会でより権力や実力を阻害されているグループや個人を傷つけるかということを、しっかり自覚した上でものを言ってほしいと思います。また、私たちもそうした無配慮なトップを野放しにせず、もっと批判・追求していくべきだと思います。