2019年08月26日

高松で私も考えた~「お上」がいてくれる気楽さと独立

夏休み中に、四国の高松に行く機会がありました。四国ははじめてでしたが、高松には高松城というお城があります。「玉藻公園」という公園になっていますが、海のまぎわにあり三重のお堀に囲まれた城址を見ることができます。お堀の水は海水を引き込んでいるのだそうです。松の木が大量に植えられ、ていねいに刈り込まれ、なかなか品格のある場所で散策には最適と思いました。

高松城址の艮(うしとら)櫓。

さて、このお城には現在天守閣がありません。「本陣」と言って、天守閣の土台になっていたところの石垣があるだけです。この石垣も算木積みなどした立派なものではありますが、地元ではやはり天守閣を再建したいという思いがあるようです。時代は変わりますが街、都市としてのアイデンティティはやはりお殿様のいた城下町、というのもあるのでしょうか。ちなみに「高松」になる前にもすでに港町として栄えていた場所ではあったようです。 そこでふと思ったのが、「城下町」のメンタリティです。暴君やバカ殿だったら困りますが、お殿様がいてそれなりに善政を敷いていてくれれば、国の民として安心して暮らすことができます。実際にお殿様がいなくなり百年、二百年が経っても、なんとなくイメージ、シンボルとしてそこに「お殿様」的なものは残っており、お城や天守閣はやはりその形としての象徴なのではないかと思いました。

お殿様であれ社長であれ、上に誰かがいて守ってくれるということであれば、安心はできますが同時に冒険や規格破りは難しくなります。よくコンフォート・ゾーンの向こうへ行けと言いますが、「お殿様」はまさしくコンフォート・ゾーンを提供してくれる存在なのかもしれません。お殿様によって提供される枠(「城下町」)で暮らしている限り、快適さを犠牲にしないためにそこのしきたりには従う、という形になるでしょう。

これを無理矢理カウンセリングに引きつけると、学校カウンセラーや社内のカウンセラーは「城下町」タイプであると言えるのではないでしょうか。ある会社内でのメンタルな悩みに対して、社内のカウンセラーが「それは転職した方が」といった方向性でガイドすることは立場上難しいと言えます。一方、オープンマインドのように独立したカウンセリングルームであれば、そうした方向性の自由度は増すということが言えます。私が個人で開業しているのもそうした理由もあるのです。

カウンセリングや心理療法で育てるものは自主性や判断力、自分を信頼する力です。誤解されやすいのですが、「自己中心的」「ナルシスト的」というのとは違います。そういう時期や段階を通過することもあるかもしれませんが、カウンセラー・セラピストという「他人」「他者」との関係を通じて、どうやって人や社会に関わっていくことができるのか、またどうやってより自分の才能を他者や社会のために生かしていきつつ充実して生きていけるのか、について模索し実践していくことになります。「社会」と言っても、別に日本社会とか国際社会とか大きく考える必要もなく、自分が属している家庭や職場、コミュニティなどの単位で考えればいいのです。その結果今いるコミュニティに留まるかもしれないし、どこかほかに活躍の場を求めるのかもしれません。

人は自分のユニークさや力を自覚したとき、他人と無用に比較することもなくなりますし、実際にいい意味でその力を行使したいと思うようになるでしょう。受け身でいたりひたすら耐えているのではなく、現実に働きかけるために力を使っていこうということになるのです。受け身でいたりうつや不安で苛まされたままになっていることも、難しくなるでしょう。すなわちやはり自分らしく生き、生きるための力を使っていくことによって、より人生は充実し病理は影を潜めるということになるでしょう。

今、働き方改革や副業解禁などで、働き方はますます多様化しています。フリーランスや起業を志す人も多いでしょう。病理が不完全燃焼から来るという根本的なメカニズムを考えると、そうした働き方を模索するプロセスの中で、自分のユニークさや力に目覚めていく人もきっと多いのではないかと思います。