心理療法・カウンセリング
2024年06月27日

もっとも意味・価値のある「自己投資」としての心理療法

多くの人が、心理療法やカウンセリングを始めようとするに際し、気にするのはお金や時間、エネルギーのことかと思います。単に単発で来てアドバイスをもらって帰る、というようなことに比べ、たとえば毎週であるとか、定期的にコミットして通うというのは労力であり負担であると感じられるでしょう。ましてや週に何回も通うこともあると聞けば、驚いてしまうかと思います(「正式な」精神分析であれば、週3,4回以上とされていますが、オープンマインドでは今のところ週2回までを上限として提供しています。通常は週1回、隔週、月1回のどれかが多いです。)。

もちろん読んだり書いたりすること、芸術的な創造活動、その他の人間の活動を通じて心理療法的なことをやっていくことはできなくもないのですが、心理療法はまた独自なものです。だからこそ存在意義があると言えるのではないかと思います。(付言しておけば、オープンマインドの場合、アートや執筆などのバックグラウンドや夢のある方たちもいらしています。)

日本ではなぜか価値観があべこべになっていて、心理療法やカウンセリングに通うような人は「不適応」、「病気」、「落伍者」といったネガティブなイメージがつきまとってしまうようです。それは誤解であり、実は自分で考えたり感じたりできる人(あるいはそのポテンシャルがある人)や、独自の見方や価値観などを持っている人が、心理療法への「適合性」が高いと言えます(この辺はエーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』で書いているところです)。私が教育・訓練を受けたアメリカではそうした心理療法の価値がもっと認められており、できるタイミングで受けておこう、受けてみたいという人は多いです。アメリカ人に限らずとも、欧米文化を経験したアジア系の人たちなどにもこうした傾向は高いと常日頃感じています。すでにいろいろなところで心理療法の効果ということを見聞きしていて、できたらいずれ受けてみたいと思っていたという感触が、感じられます。

それと言うのも、過去のネガティブなパターンや傷などをそのままにしておくのと、それをプロセスしておくのとではその後の人生が大きく違ってくると考えられるからです。先々できないと思っていたようなこと(仕事上のチャレンジー転職や起業などや家庭を持ったり子どもを持ったりなど・・・なんでもできる「願望実現」ではないですが)もできるようになっていく可能性もあります。

だからと言って、必ず「成功する」とか(成功の意味も人により違いますが)、将来に渡って不幸や病気などが起こらないというような「免疫」を心理療法が保証できるわけでもないのですが、それでもやらずにおいてネガティブなパターンを繰り返してしまうよりは、自分でプラスの方向に変えていけることが多くなると思います。または、なにか望まないことが起こったときにも、対策したり受け入れたりすることが早くなるでしょう。要は適応力がつくということです。

セッションの中やセッションを通じて自分の人となりや対人関係のパターン、育ちや受けた教育などについて考えていくことで、自分の強みや弱みを知ったり、盲点を自覚したりすることができるようになるとともに、人生においての難しい選択や局面についても、いっしょに考えてくれるセラピストの助力を得ながら取り組んでいくことができるということになります。

ましてやこれはセラピストという他の、「生身の人間」と行われる作業です。セラピストも育った家庭や文化があり、それぞれの学びや教育、キャリアなどのバックグラウンドがあります。これが自分でネット記事や本などを読んだり、セミナーに出たりするのとの決定的な違いであるとも言えます。このような理由から、心理療法においてはどんな人同士でも効果的な作業ができるというものではなく、どうしても「相性(マッチ)」があると言われていますが、それは人間同士である以上仕方がないことです。とは言え、来ていただく以上セラピスト側ではできるだけ効果的になるようにと、常に考えています。

本質的に心理療法の作業には時間がかかるため、「こういう効果(変化)があった」と気づくにも時間がかかるのも事実です。実際、目に見える・感じられるような変化と言えるものは数週間、数ヶ月単位やそれ以上で起こってくることも多く、「あのセッションがきっかけとなった」というようなこともありますが、必ずしもそうピンポイントで何が起こった、と言えない場合もあります。と言うのも、頻繁に重ねるセッションではありますが、それ以外にも、通常の日常生活というのもどんなクライアントであれ送っており、そこでもいろいろなことが起きていますし、また無意識を含む心の内側でもいろいろなことが起きているからでもあります。

このように独自の価値を持つ心理療法を受けることのできる機会は、人生での「恵み」、「機会(チャンス)」、「ギフト」と言ってもいいのではないかと思います。ある意味、誰もが恵まれる機会ではないとも言えますし、きっかけとなるのがネガティブな出来事や体験、不快な心身の症状などであることも多いですが、それが思ってもみなかった道につながっている場合もあります。深い作業をいっしょにできるセラピストとの出会いは貴重ですが、そこで漠然と見えてくるものに不安を感じその場を去ってしまう人も少なからずいます。

もし心理療法を「自己投資」と考えれば、確実にほかのものとは比べものにならない、独自の価値を備えた投資なのではないかと思います。それを知っている人か、直感的にこうだと思っている人が始めているのかと思います。