子ども・子育て・発達
2024年06月14日

子どもの目標、無理ならいさぎよく諦めよう

今日は珍しく子育てについてです。精神分析的心理療法は、親子関係(特に初期の母、あるいはそれに代わる人と子との関係)が「転移」と呼ばれる現象を通じて再現されるのを用いて、変化を促していきますから、子育てはとても関連の深いものであると言えます。

そのように自覚していなくても、自分が子どもを育てるときには自分が育てられたやり方やクセなどがどうしてもある程度出てきます。多くの人が子育て(よりもさらにその前の段階の結婚や交際など)を躊躇したり、あるいは子育てを楽しいというよりは難しい、大変だと感じてしまうのはその辺に理由があるかと思います。

自分が親から受けたネガティブなものを繰り返したくないと思っても、似たような状況を生み出してしまったり。また、たとえ自分が愛情を注ぎ、親身になって世話をしている、してきたと思っても、子どもがなかなか「思う通り」になってくれないとすると、甲斐がないのように思って複雑な気持ちになるかもしれません。

子育てには、人間関係におけるほぼあらゆることが関わってくると言っても過言ではないかと思いますが(ただし大人の対等な恋愛や婚姻関係のようにはなりませんしなってはならないのですが)、今日は「子どもの目標」について考えてみたいと思います。

そもそも、(子どもの年齢にもよるかと思いますが)子どもの目標は親が考えていますか? それとも子ども自身が考えているでしょうか? 親子で協力して話しながら決めているでしょうか? たとえば、就学前であれば子どもにはそのような意思はない、とはなから思ったりしていないでしょうか?

たとえ就学前であっても、今日はこれをして遊びたい、このおもちゃよりあっちのおもちゃがいい、この絵本よりあの絵本がいい、といった好みや選択はあります。大人から見れば「短期的な」「チョイス」のように見えても、子どもは満たされれば満足します。そもそも子どもの時間のスパンはそれくらいだからです。選び、満たされるが、先々自己肯定感や自信、自立につながっていくのだと思いますが、「わがまま」と見なしてしまうこともあるのではないでしょうか。

自分の身になって考えてみてください。なにかやろうとした途端に、「これはダメ、こっち!」とモノや目標を差し替えられていたら? とても不満だし頭に来るし、混乱するのではないでしょうか。子どもも同じことです。もし、子どもの「こうしたい」がさまざまな現実的な理由で(時間、お金、他者との兼ね合い、等々)で叶えられないのであれば、それは理由を説明して子どもに納得してもらうしかありません(多少、時間がかかるかもしれませんが)。これにより、理不尽にただ断られたとか奪われたといった感覚を抱かずに、子どもは気持ちを収めることを覚えていくことができますし、「現実」というものがあるのだということも徐々に分かっていきます。

子どもと大人の時間感覚は違い、また大人にはそれまでの経験があるとともに、世の中の仕組みや「現実」等々が見えており、また「将来」といった感覚や想像があります。子どもには目の前のことしかないと言えます。これは、親子のすれ違いが起こる原因の一つと言えます。これは、発達段階の違いであるとも言えます。

昨日、たまたま小学校受験について読んでいたのですが、これなどは好例です。中学受験、あるいはそれ以降であれば、子どもがある程度何をやっているのか納得し、自分で取り組むことも可能なのではないかと思います。それに対し、小学校受験では「親の受験」とも言われるように、子どもはただ仕向けられたように、幼児教室に通ったり、決まった服を着たり等するしかありません。

ここで、小学校受験自体を否定するつもりはありませんが、ほかのこと同様、これにも「向き不向き」があり、親子であまりに奮闘したり、やり取りがあまりにネガティブになり親子関係そのものが脅かされてしまったりするようであれば、本末顛倒であり、やはり「向いていない」になるのではないでしょうか。

ピアノなど楽器の練習、スポーツなどについても同じようなことが言えるでしょう。毎日、親がつきあってあげればピアノの前に座って練習できる子もいるでしょう。ごほうびと組み合わせれば可能だとか、いろいろあるかもしれません。が、勉強も習い事もたとえば叩いてまでさせることではないのです。

親にはみな、子どもに幸せになってもらいたいという気持ちがあります。自分が叶わなかった夢を、子どもに託したいという場合もあるでしょうし、それ自体が悪いわけではありません。が、それが子どもにとって過剰、重荷となり、親の期待に応えること・応えようとすることが子どもの人生の主目的になってしまうのであれば、子どもの人生そのものを奪っていることにもなりかねません。どこかで子どもは参ってしまうでしょう。(それが子どもが大人になってからということもあり、そうした例はいくつも見てきました。)

自分のこと同様、子どものこともある程度粘ってやってみてダメだったら諦めるということです。そこでの努力が、ほかのことをやろうとするときに役立つこともあるかもしれません。また、考え方を変えれば、子どもの目標のサポートは必要でありながら、自分なりの目標を立てそちらに注力する方がいいかもしれません。多くの人が大人になってからは大したことができないと信じがちですが、そんなことはありません。叶わなかった夢があるのであれば、まったくその通りにはできないにしてもそれに近いものを違った形で手につけてみるなど?(これを専門用語では「昇華」と言いますが。)そうした、親の側のちょっとした方向転換により、自分との関係と子どもとの関係双方が良くなるのを感じられるのではないでしょうか。