2020年02月06日

「間接的逆転移」について

今回は、ちょっと専門的な内容になります。定期的に通っている研究会があるのですが、そこのための文献を読んでいるうちに「間接的逆転移」という言葉にぶつかり、ああこれ重要だよね、と思った次第です。誤解を怖れずに簡単に言うと、カウンセラーなど臨床をする者が、自分の所属している団体や組織の悪影響を受けてしまう状態、と言えるでしょうか。

多少精神分析やカウンセリングをかじった方ならご存じかと思いますが、心理的な治療関係には「転移・逆転移」というものがあります(もっと広範に見る場合もあります)。転移とは、過去の権威者(父母など)との関係に基づいて、そこから来たものを治療者のなかに(あるいは治療者として)見てしまう状態、逆転移とは治療者が、クライアントが向けてくるものに対し感じる反応のことです。ちょっと抽象的だと思うのですが、転移としては、たとえばクライアントのお父さんがきつく叱る人で、そのため常に萎縮しており、さらには叱られそうな状況が繰り返されるとますます不安になったりする、というようなことがるかもしれません。これに対し治療者側の反応(逆転移)としては、ふだんはあまりそうではないのに、クライアントを叱りたいような衝動に駆られる状況が出てくるかもしれません。

ふだん、カウンセリングや心理療法というものは、一対一、個対個ということで考えられています(家族療法、グループ療法、カップル療法等々もありますが)。あたかもその外の世界はないかのように、「境界」も作っていきます。それは、そのなかで安心して話せるようにというのと、そのなかで起こる治療効果をなるべく有効にするためというのもあります。ですが実際にはカウンセラーなど治療者は、学校、企業、病院、施設などに所属して、そこでそうした組織・団体のために仕事をしてお給料をもらっている場合も少なくありません。そこで出てくるのが「間接的逆転移」なのです。

元来、治療者はそうした組織・団体であるとか、あるいは地域や政治といった「外部の」ものからできるだけフリーである方が良いのです。もちろん影響を受けないわけには行きませんが、治療のための特殊な空間を作り、維持していく責務があります。ところがそこに、たとえば企業における「なるべく休職・離職してほしくない」とか、学校における「不登校は望ましくないから学校に復帰してほしい」といった「圧力」が過度に加わると、治療者は治療のなかで起こっていることや、そのために望ましいことからズレて、余計な反応(またはすべき反応の欠如)をしてしまいます。これが「間接的逆転移」と呼ばれるものです。

こうした反応は、せっかくクライアントがこころを開いてきたり、信頼してきてくれたのを潰してしまう可能性もあります。治療関係のなかで起こっている独自で微妙なものは、いくら説明しても外部の人(ときにはたとえその分野のエキスパートであっても)には分かりにくいものです。また、治療者自身が過度に「・・・ねばならない」思考を持っていると(例: 学校にはちゃんと通うものだ、会社は休んではいけない、等々)、ますます「同調」しやすくなると言えるでしょう。分析的に言えば、治療者が組織・団体からくる超自我的な圧力に屈することなく、自他の区別と境界を保つだけの自我の強さを持っている必要がある、ということになるのでしょうか。治療者は、いろいろな圧力に関わらず内部の空間を十分に大きく保ち、クライアント本人の価値観や動機から、行動や人生の指針が決まっていくよう援助するのが「理想的」と言えます。

実際には、お給料をもらっており、上司やスーパーバイザーなどの目が光っている状態だと、なかなか難しいというのもあるでしょう。日本の文化自体、目上の人が尊重され、「あるべき」が比較的強い文化であると言えます。本来カウンセリングのようなものは「独自」と「独自」の出会いであり、誰かのやり方を踏襲するとか、まねするとかではないはずなのですが、学ぶ過程として仕方ない側面もあります。たとえば、個人分析・教育分析などを受けた場合、その相手のやり方やスタイルを踏襲してしまうというのは、学びの上で必要な過程であるとすら言えるでしょう。

要は、そこから徐々に自由になっていけるかです。もちろん「自由」と言っても絶対原則的なものを無視してあらぬ方向へ走るわけではありません。組織・団体に所属している場合には、自由に動けないと感じるのであれば、それは話してみるべきことなのかもしれません。本来的には、上司やスーパーバイザーというものはカウンセラーや臨床家の職掌の特質というものを理解した上で、十分に信頼してフリーハンドを与えるべきだと思うのです。オープンマインドのような「個人開業」の利点は、そうした影響から限りなくフリーでいられるということにもあるかと思います。