2020年04月26日

「感染不安」ということ

新型コロナウィルスの感染が拡大するにつれ、外出自粛から、7都府県の緊急事態宣言となり、さらにそれが全国に拡大されるなど、活動や行動が制限される日々がつづいています。感染を防止する意味から、科学的に見ておそらく正しいであろうことと、そうではなく、不安や恐怖から来るヒステリー的な反応も大いに混じっている印象があります。

私は以前、HIV/エイズの電話相談という仕事をしていた時期があります。まれにHIV陽性者の方などもかけてきましたが、大半は「感染不安」によるもので、なにかの行動やきっかけがあって、感染していたらどうしよう、検査をするには? という内容の電話が多かったのを覚えています。ご存じのようにHIVは「ちょっとした接触」では感染せず、性行為や輸血などのハッキリした原因がないと、感染することはありません。新型コロナは、また別のウィルスでもっと伝染力は高いので単純に比較はできませんが、HIVの場合、「風俗に行った」ということでは状況によっては疑わしくなりますが、中には「外国人に会って握手した」というような、むしろ対人不安的なところから来ているのではないかと思われる、「不安」の相談もありました。

心配性の人や、不安になりがちな人によくあることですが、この場合で言えば「感染するという不安」と「感染している」ことは違います。前者は気持ちやこころの状態(思考・考え)、後者は生物学的な、身体のこと(現実)です。この区別がつかなければつかないほど、不安な人は「あたかも感染したかのように」不安になり、自分ばかりでなく周囲や社会での不安を引き起こさせるような行動や現象についても、ヒステリックに反応するようになってしまいます。また感染不安は、対人不安や、人と接触することの不安、人の感情などの影響を受けるのではないかという不安などでも増幅されがちなものでもあります。

こころの中が不安や強迫観念で支配されればされるほど、こころの余地、余裕がなくなるため他人を批判・攻撃したり、ヒステリックな反応をしたり、また人といさかいを起こすようなことも増えてきがちです。不満や鬱積からDVや虐待なども増えがちな時期なので、心理面から見ればあまり「行動の自由」を奪うことは得策に思えないのです。

また、政府・自治体などから「こうしてください」と言われたときに、それを過剰に取ってしまう人もいます。言われた通り以上の「自粛」をしてしまったりして、自分の「輪」を縮めるようになってしまいます。こうした人は、おそらく超自我(こころの中の規範、「あるべき」を司る部分)が強い人ではないかと思います。逆に、反抗的になる人もいます。不安や感情が激しい頃だからこそ、いろいろ難しいのです。

メンタル的な観点から言えば、一律に「こうしなさい」ではなく、個々人が、現状を考えた上で自分のメンタルにとってなにがベストかを判断し、そうできるのがベストです。しかし現在のところ、公共の問題、より多くの人が感染するか否かがかかっており、難しいところです。とは言え、DVや虐待のリスクがある人、過去の体験などから外出自粛することが「閉じ込められる」ことに相当し、メンタル的に非常にマイナスになっていってしまう人(例: パニック発作やうつなど)などもいるということも、十分に社会的にも理解されるべきでしょう。