2020年05月22日

コロナ自粛は「魔法の時間」?―価値観の逆転

日本国内で、地域による差は多少ありますが、ざっくり3月頃から現在まで外出自粛や、緊急事態宣言がつづいていると言えます。自粛が始まった当初は買い占めがあり、まずトイレットペーパーが売り切れたり、その後マスクや消毒薬が払底するという事態になりましたが、現在は安定してきているようです。ただ、「解除」になってもマスク・手洗いは必要といった、「まだ日常ではない」状態がつづくでしょうし、海外の例などを見る限り、人が外に出始めたとしても、ビジネスが戻るにはさらに数ヶ月を要すると言われているようです。

それは取りも直さず、究極のところで「個人の選択」が尊重されていないとも言えるのかも知れません。したくてしているにせよないにせよ、そうなる必然性があったとしても、「家にいる」ということの是非を社会に問うている、とも言えるでしょう。

さて、外に行けずフラストレーションを溜める人たちがいる一方、ある人たちによっては新型コロナウィルスによる「外出自粛」は、「魔法の時間」となっているようです。もともと、人づきあいや社交が苦手であるという人、通勤や通学がうっとうしいと思っていた人、不登校や引きこもり気味の人などは、「家にいていい」、「家にいるのがいい」と言われることで市民権を得たように思っている場合が多いようです。つまりは以前から家にいることで(自分の「家」であるにも関わらず)、どこか後ろめたいところがあったということを意味しているのでしょう。元々アクティブで活動的な人でも、「家にいる」、「家族といる」といったことが案外心地よく、悪くないものだったと思い始めている人も少なくないようです。無理にやろうとするようなことはやらなくてもいいような、「魔法の時間」が流れています。

コロナ以前の状態では、アクティブな人、どんどん外に出て行く人、社交的な人の方が「望ましい」とされていたように思います。ところが今そういう人たちは自分のエネルギーを抑えなければならず、逆に内向的・内気な人、インドア派の人、引きこもり気味の人の価値が見直されているとも言えます。コロナにより価値観の逆転が引き起こされたとも言えるでしょう。もともと、性格や成功は「これがいい」というものではなく、文脈(社会のあり方、仕事などで要求されること、文化、経済状況等々)があってはじめて「なにが望ましいか」が決まってくるものです。コロナにより、あらためてそうしたダイバーシティの側面が浮き上がったわけになります。これを受けて、今後の社会はどうなっていくのでしょうか?