2020年08月12日

ダンス(アート)と心理学は無縁ではない?

ダンスと心理学やってます、と言うと、日本では「ずいぶん違うものをやっていますね」のように言われることが多かったです。ところが、私が心理学を学んだ地、アメリカでは、多分ありふれた組み合わせと思われることも多く、心理学者でダンス経験のある人も(出会った限り)多いです。両方「動き」に関するものですし、同じ人がNBAとメジャーリーグ両方で活躍してしまったり、あるいは大学でダブルメジャー(専攻を2つ持つこと)が可能な国ならではなのでしょうか。

また、アーティストも精神分析を受けたりするような文化があります。精神分析は一種の「アートの形」と見なすこともでき、たしかに創造のプロセスそのものを辿っていくもだと思います。日本で、アートにも心理学にも一種の偏見があるように感じるのは、やはりこの2つに共通点があるということでしょうか。心の動きの表れでもあり、自己表現でも自己表出でもあります。

これは、聞きかじったり読みかじったりした話で、出典が明白ではないのですが、阪神淡路大震災の後、アート療法的な場で、子どもが真っ黒な絵を描き、「問題になった」と聞きました。何が問題なのでしょうか? その子は、自分の気持ちや気分をそのまま画面にぶつけただけでしょう。ただ受け止めてあげて、「真っ黒」「真っ暗」から出てこれるように、プロセスにつきあってあげれればいいのではないかと思います。アートや描画自体に問題があるわけではありません。

アートや絵についても、そのままでいいというよりは、たとえば描き方を指南したり、太陽は赤でなければならない、絵の中の配置は・・・等々、余計なお世話、という感じです。中には、なにをどう描いたらいいか困惑してしまう子どももいるようですが、それだってプロセスです。

学校の教室ではよそ見せず前を向いて姿勢よく座っていることが求められますが、これは動きを封じ、制限している状態です。姿勢、動きにはこころの状態が表れます。教室で求められた姿勢を維持することは、自分を表現することを禁じられている、という状態です。この状態からさらに意見を述べよ、自分らしくあれと言われて、できるのでしょうか? 考えること、話すことにも身体の動きは伴います。また、教える先生の方でも「動きの多い」教室や生徒の状態には慣れていない、正直集中できない、ということなのではないでしょうか。

「アートと心理学」と言ったとき、ほかにあるのはその2つを安直にくっつける、という考え方です。 「アート療法(絵画療法)」といったことです。アート療法を否定するものではなく、ダンス療法、音楽療法もありますし、いろいろなアプローチや手法があることはいろいろな表現手段から選ぶことができるという意味で、いいことだと思います。が、言葉を使ったセラピーにもアート的側面があることが、見過ごされている場合もあります。

また、「アート療法」といったときに、やたら「絵を見て診断しているのでは」と、警戒する反応も出会ったことがあります。私は、アート療法を正式に学んだことはないので分からないのですが、もちろん「診断」に使うこともできると思います(描画を用いた査定もありますし)。しかし、治療的な関わりでは、「診断」といったレッテル貼りや分類よりは、その人がなにを表現しているか、それがどう感じられるか、アートを巡ってどういうコミュニケーションができるか、といったことの方が重要になってくるでしょう。

話がダンスからアート(絵画、美術、アート全般)にスライドしてしまった気がしますが、根本的なところは共通していると思います。ダンスは、感情や物語を身体を介して扱うという意味で特徴的なもので、そうした身体感覚は臨床やコミュニケーションでも発揮されるものです。オープンマインドではアート的プロセスを大切しつつ、またその人の表現方法やペースも大切にしつつ、臨床を行っています。