2020年10月26日

心理学は「西洋の学問」か?

ごくシンプルに言えば、答えは「イエス」だと思います。心理学はヨーロッパで生まれていますし、ほかのヨーロッパの学問が必ず古代ギリシャ・ローマと結びつけられているように、そこに「起源」があると言えるかも知れません。ただ、一口に「ヨーロッパ」と言っても、一様ではありません。例を挙げると精神分析学はウィーンで興ったものですし、実験心理学はドイツ(ライプツィヒ)に最初の実験室がありました。ほかにもイギリスの流れを汲むもの、フランスで始まったもの、ロシアに興ったもの、等々いろいろあります。

そして、今日見られるように、ボーダーレスで、国や地域の間を簡単に行き来でき、いろいろな人種・民族が入り交じっている社会において、心理学はヨーロッパ系の人たちだけを扱っているわけではない、ということに90年代くらいからだんだんと焦点が当たっています。すなわち、アメリカにおいては心理学者の多くは「白人(ヨーロッパ系、コーカサス系)」であり、自分たちが築いた学問や手法を、より知識や経験のないマイノリティ(黒人、ラテン系、アジア・パシフィック系、ネイティブ・アメリカンなど)に対して使ってきたという歴史があり、その是正が求められています。

私が心理学を学んだ国、アメリカで心理学が盛んになったのにはいろいろな理由があると思いますが、一つには心理学(特に臨床系)ではユダヤ人が強く、そのユダヤ人がヨーロッパで迫害され始めたとき、多くの学者が移民としてアメリカに流れてきたという事情があるでしょう。また、元来移民国家であるアメリカにおいて、心理学が「有用」だったということも言えるでしょう。これには功罪もありますが、移民の教育・知的レベルを客観的に測ろうとしたことが、知能テストなどの発展の動機となってもいます。

こうした、心理学が発展してきた文化的土壌を考えたときに、日本での心理学は適切に学ばれ、運用されていると言えるのでしょうか? たしかに、査定などのツールの一部は日本人からデータを集めたり、あるいはあらためて日本人向けに開発されたものがあります。また、森田療法や内観のように、より日本的なメソッドが開発されてきてもいます。が、絶対的に心理学者の数でも予算でも劣る日本の心理学が、アメリカはじめ諸外国で開発されたものすべてを文化的に検証した上で運用していくことは事実上不可能です。

日本の文化や歴史を考えたとき、そこで人間の「心理」を扱ってきたと言えるものは文学や仏教などでしょうか。しかし、日本には元来人の心理やこころを客観的に、また個別の独立したものとして扱っていこうとする「心理学」に相当するものはなく、そのため輸入された心理学が分野や場面によっては重用されていると言えるのではないでしょうか。こうした考慮から、オープンマインドではアメリカで学んだ心理学をそのまま適用するのでなく、いったん文化的・批判的フィルターに通す、ということをしています。それは、クライアントがどういう文化・民族・人種のバックグラウンドを持っているか、現在の居住地域はどこかということでもあり、またセラピストがどういう文化的な経験を積み重ねているか、ということでもあります。

オープンマインドのクライアントさんは実にさまざまなバックグラウンドから来ます。日本人が多いですが、外国人もいます(言語は日本語か英語だけです)。日本人でも海外在住の人や、バイリンガルの人もいますし、また逆に生まれた場所からあまり移動していない、という人もいます。それぞれの置かれた場所や状況はどういうものか? ということを加味することによって、単にこころの中身を検討していくことだけでなくより重層的なアプローチが可能となるのです。