2022年04月06日

進学・入学は当たり前のこと?

桜が咲きかかってから気温が下がったり雨が降ったり、じらされましたがまた気温が上がって来、これでもう春になりそうですね。桜も(東京では)満開を過ぎ、花びらがひらひらし始めているように見えます。

当然のことながら新学期・新年度です。新たな仕切り直し、スタートの時期です。お子さん(あるいはご自身という場合もあるかもしれませんが)の進学や入学というのはお祝いに値することだと思います。「あたり前のことじゃない?」と思われるかもしれません。が、たとえば言えば身体の基礎代謝のように、気づかないうちに、見えないところで「働いていてくれるもの」がいうのがあります。無事進学や入学ができるというのは、そういうことではないかと思います。本人のがんばり、学校や先生など周囲のがんばり、また親御さんであればご自身にとっても、地道にやってきたことの「成果」と言うことさえできるかと思います。

なかには受験などの試練を乗り越え、やっと入学になっている場合もあるでしょう。その場合は最大限ねぎらったり祝ったりするべきと思いますが、そのようにさんざん努力して勝ち得たもので「しか」評価してもらえない、祝ってもらえないとなると、きつい気がします。達成が好きなタイプの人もいますが、行き過ぎると達成依存のようになってしまうとも思います。「ふつうに」進んでいるだけでも大したものなのです。

ことに心理職的目線から見るとそうですが、なにげなく暮らし学んでいるように見える子どもの世界にもいろいろあります。親や先生などに言わないところで、小さなもめ事や困難を乗り越えてきているかもしれません。こどもは人の助けを得ようとする場合もありますが、年齢や性格によっては「自分でなんとかしよう」と思うことも多いです。だから「無事」に見えるのは案外大変なことなのかもしれません。子どもによってはそうした小さな出来事やつまづきが、発達障害的なパターンや、のちのちの不登校などにつながってしまう場合もあり得ます(だからと言っていちいち神経質になる必要もないとは思いますが・・・)。

だからやはり「この1年がんばったね」と一区切り、一休みした上で、「また1年がんばろうね」ということになります。(「がんばる」という表現が適切でないかもしれませんが、まあゆるゆるとやっていくでも良いのです。)クライアントのなかに、強迫的な傾向を持った人はやはりいますが、こうした人だと一つ達成(あるいは一区切り)しても、まるで何もなかったかのように次、次、と進んでいってしまうこともよく見受けられます。「休む」ということができず、休むことがリラックスというよりはかえって不安を煽ってしまったりもするのです。

こうなると何年もそういうパターンで過ごしていったとしたら、いずれ心身を崩してしまうことにもなりかねません。「休む」とか「緩む」感覚は慣れないと変なものに感じられるかもしれませんが、働いている、動いている、がんばっている状態から「離れる」必要があるのです。休んで退屈した頃には、先へ進む活力が戻っていることを感じるのではないでしょうか。