オープンマインドは先月7周年を迎え、ホームページをリニューアルしたばかりですが、まさかその直後1本目のブログの内容がこのようなものになるとは、まったく思っていませんでした。今日の午後移動中に、安倍元総理が凶弾に倒れたという知らせが入ってきました。
元・首相が狙撃され亡くなるということを、「トラウマ(心的外傷)」として考えるとどのように考えることができるでしょうか? まずは国のリーダーを務められた人ということで、「国家的」「国民的」トラウマということができるでしょう。(グループ、大勢の人に影響を及ぼすものを「集合的トラウマ」と言います。)政治なんて関係ない、政治家として好きでもなかった等々があったとしても、人や顔などを知らないという人は日本人ではごく少ないでしょう。そういう意味での「国家的」「国民的」です。
突然の死というのはトラウマと捉えられる可能性がありますが、理論的には近しい人が一番影響を受けます。すなわち、家族や親族、同僚などです。ご家族の方々や自民党の周りの方々などでしょうか。政治・外交を通じて関わりがあった方々もでしょう。また、奈良県の現場にいて目撃した人たちも「近い」と言うことができます。こうした「近さ」には主観的なものもあり、「公人」であったので、端からみて分からなくても強い影響を受ける人もいるかと思います。
まず第一の反応としてはショック、呆然とすること、信じられない思い、現実の否定、などがあるかと思います。その他、無感覚状態、脱力感、無力感、何も考えられないといったこと、怒り・悲しみ・憤り・悔しさなどの強い感情、また逆に興奮や喜びのような、「真逆」の感情を感じることもあり得ます。こうした感情や状態は波のように強さを変えつつ襲って来、だんだんと弱くなりやがては去るというのが普通です。
しかし今回の場合、「殺人」ということであり人の悪意が絡んでいるので、単なる死別や喪失よりも話はややこしくなります。また、国の要人であるということから政治・経済的な影響やインパクトも大きいのではないかと思います。象徴的には、国や会社などのリーダー、上司などは「父親」に相当し、父親像と重ねた見方や反応もごく当然にあり得ます(これは、女性がリーダーや上司になれないという意味ではなく、父権的社会での一般的な捉えられ方、という意味です)。
人を失うこと(喪失)への反応として定説となっているのはエリザベス・キューブラー=ロスの説です。5段階のプロセスがあると言い、まず否認(現実として受け止められない、信じられない)、怒り(なぜ自分が、といった思い、理不尽だといった思い)、取り引き(交渉することによって、事態が変えられるのではないかといったあがきの段階)、抑うつ(現実が変えられないと知り、落ち込む)、受容(死や喪失を受け入れる)といった段階を経て「死の受容」に至ると言います。しかし、この5段階はこのままの順序で起こるわけではなく、行ったり来たりがあったり、また順序が入れ替わったりすることもあり得ます。また、故人に対する思いや関係性が複雑である場合、なかなか嘆きのプロセスが終わらず長期化・慢性化することもあります(複雑性悲嘆)。
PTSD(トラウマ後ストレス障害)としては、似たような状況や思い起こさせるような状況の回避、考えようとしなくてもイメージや感情、思考などが侵入してくること(フラッシュバックや悪夢を含む)、通常より警戒するような心理が続く過覚醒状態、が主に挙げられます。このような状態がつづく場合には、カウンセリングや心理療法などのケアを受けてもらった方が良いです。PTSDはまた不安症やうつとの関連も深く、放置するとうつ状態へ移行することも考えられます。
トラウマ的出来事にはまた、「繰り返されるのではないか」という不安を生む力があります。一つ暴力(テロ)があればまた起こるのでは、と思ってしまうのもそうした影響です。たしかに、(最近の犯罪関連でもありましたが)こうした出来事に影響されて良からぬことを思いつく人もいないわけではありませんが、全体としては「繰り返すかもしれない」という不安に基づいており、理性的にそうした不安を鎮めつつ物事に対応していく方がいいと言えます。
また、こうした突発的な出来事に気を取られてしまっている場合、認知的リソース(心のスペースと言っても良いです)がそちらに取られてしまい、ぼんやりしたり物思いに耽ったり、無意識に考えたりといったこともあり、その余波としてミスをしたりケガをしたりということも多くなりがちなので、注意してください。
実際にPTSDやトラウマのカウンセリングをする際には、こうした「起こった出来事」だけでなく、対象となる人(クライアント)の生育史や家族史、過去のトラウマ、現在の状況などと照らし合わせていく必要があります。かなり複雑なプロセスであり、訓練や経験を積んだ専門家により可能なことであると分かるでしょう。最後になりましたが、安倍元総理のご冥福を心よりお祈りいたします。
(注: このブログ記事に政治的な意図はありません。)