子ども・子育て・発達
2023年04月02日

マスク生活で子どもたちの顔の認識能力に影響が出た?

ついつい、ネット記事などを読んで触発されてブログを書いてしまう私ですが、今日は顔認識(視覚的に顔を認識するプロセス、能力)の研究をされている方の記事を読み、賛同するところがあったので書いています。

つまりは、人間は人の顔を(それこそ赤ちゃんの頃からです)「目2つと口」という3点セットで認識しているため、マスクで口が覆われていると、相手の「顔」を本当の意味で見ているということにはならない、ということです。

脳のプロセスとしては実際には見えていない口を想像で補っているということですが、口だけいわば「架空」の状態になっていた、と言えるかもしれません。

人を識別するというのには、第一に「顔と名前」というのがあります。「顔と名前が一致する」とよく言いますが、顔と名前が一致していれば、「知り合い」であるとは言えるでしょう。そこから先、より深く相手を知ったり、理解したり、コミュニケーションを図っていくためにも、ライブの感情に伴い動く顔というのが不可欠なわけです。ここ2年ほど、子どもたちは園や学校などでそうした本来あるコミュニケーションの状態とは違う状態で、生活してこなければならなかったということになります。加えて給食時の黙食など、さらなる制限もあったかと思います。

小学生だと、なにかあると一人の机の周りにそれこそ顔を突き合わせるようにして集まっておしゃべりしている、ということを考えると、マスクやこうした制限はまさしく「由々しき事態」と言わなければならないでしょう。

こうした、得られなかったものを今後、ある意味「取り戻して」いかなければならないということで、とはいえ過ぎ去ったことはどうにもならないので、これからできることをやっていくということにはなるのでしょう。マスクを外すペースは個人個人の「できる」「やってもいい」が尊重されるべきですが、たとえばこれまでできていなかった分、クラス内で班など小グループの単位で、話したりアクティビティをしたりすることで、「顔を見ながらの」コミュニケーションを促進していくことができるのでは、と思います。こうした経験(補い)のあるとないとでは、違ってくるような気がします。

もともと日本ではどちらかというと匿名性の高い状況が好まれる、といったこともあるかと思います(現代だけかもしれませんが)。しかし、人間の最大限のコミュニケーション能力という意味では、やはり自分が誰で、相手が誰でということを分かって(あるい知ろうとしつつ)コミュニケーションをすることで、理解も、感情的体験も高まります。

カウンセリングや心理療法においても、メールや電話、チャットによるものもありますが、基本は「対面」です。これはやはり、対面によるコミュニケーションが一番リッチであるというところから、お互い理解するところや得るところが大きいということに由来しているかと思います。対面セッションでは足を運ばなければなりませんが、そのプロセスにもいろいろな思いや、思い出が伴うものです。入ってくるところ、その日の様子、服装、しぐさ等々、すべてがセッションの一部となります。その分、複雑性や豊かさが増す、ということにもなります。

セッションにおける複雑性や豊かさは、セッションやメンタルヘルス、コミュニケーションそのものばかりでなく、受ける方の仕事、生活、創造性などあらゆる側面に影響していきますから、やはり重要なことであると言わなければなりません。

他方、オープンマインドではクライアント側の利便性や限界等も考慮した上、コロナ前からオンライン(主にzoom使用)でのセッションも提供しており、かなり長期でご利用されている方たちまでいます。コロナという未曽有の出来事により、オンラインセッションは世界的に専門家の間でも市民権を得るに至りました。上記のように、対面の方がリッチではあるのですが、利便性、実際効果があるということ、またメンタル的にもいろいろな条件からオンラインで始める(対面に移行するかどうかはともかく)ことが適した方たちもおられることから、対面とオンラインで特に料金設定を変えずに提供することにしています。

カウンセリングや心理療法ということだと、理解してもらえないのではないか、ネガティブな反応をされるのではないか、受け入れてもらえないのではないか、偏見や拒絶があるのではないかというような不安を、始めようと思う方や、あるいはやっていても抱かれるかもしれません。プロの心理士(師)であってもまったく偏見やネガティブな感情がないというわけにはいきませんが(人間です)、クライアントが話したいことやその感情の流れなどをなるべく阻害しないように、注意深く聞きつつコミュニケーションをしていきます。そのようにしてその人が全体として認めてもらえる、ということになるからです。その意味でも、お互いの顔を見ながら話すということは、欠かせないことだと言わなければなりません。