2023年05月15日

日本はすでに「多文化」~2つのカレンダーの存在が示すもの

私が心理学や心理療法を学んだニューヨークという街は、人によりイメージはさまざまかと思いますが、ユダヤ人が多いです。現在の正確な値は分かりませんが、約800万人くらいの人口のうち、150万人くらいはユダヤ人である、と聞いたことがあります。

特に心理学という学問にはユダヤ人が多く(精神分析学を始めたフロイトがユダヤ人であった、ということもあり)、私が通った大学院はともにユダヤ人学者も多いためか、ユダヤのメジャーな祝日はお休みとなっていました。ユダヤ暦は太陰暦なので、それらの祝日は年によって日付が変動し、大学のカレンダーに表示されているという風でした。いまだにSNSなどでつながっている友人・知人から祝日をお祝いしている様子が入ったりします。東京に暮らしていると忘れますが、今そういうタイミングなんだな、と思い出します。

さて、つまりはふつうの暦(カレンダー)とユダヤ暦が併用されているということです。多数の人がふつうに使うカレンダーもあるけれど、ユダヤの伝統も尊重したい、ということでしょう。翻ってみると日本には「和暦」と「西暦」があります。これも悩まされるところですが(履歴書など、和暦でしか受け付けていないとちょっと苦労したりします)、これは言ってみれば2つの暦(日付け単位でないにせよ)が併存しているということです。日本は天皇制がありますから、西暦を受け入れたとき、歴史・伝統にのっとって元号というものを廃止したくなかった、ということの表れでしょう。(賛否両論はあるかと思いますが。)

日本ではいろいろな場面で日本・西洋が分けられていることが多いです。映画(洋画、邦画)しかり、音楽(洋楽、邦楽)しかり、です。本も「日本文学」「外国文学」のような調子で分けられていますね。まだまだあるかと思います。「洋」は「西洋」だったはずなのですが、いつの間にか外国すべて、日本以外、のようになっています。

ものすごく歴史を遡れば、日本には中国人・朝鮮人(韓国人)などの渡来人がいました。彼らは、先端の技術や文化を運んできて、日本社会に溶け込んでいったのです。和歌が盛んになっていく頃を見るとしかし、「漢詩」に対する「和歌」を成立させようと必死になっているような様子が見えるようにも思います。当時も大陸と日本の文化の差は非常に大きいものだったことでしょう。

和暦・西暦と考えると、実は日本にはすでに「日本と日本以外」が併存しているのですが、それを実に日本的に、吸収するようなやり方でやってきたということです。が、もはや移民や外国人が多すぎて、「日本・西洋」のようなおおざっぱな分け方や、日本に消化・吸収するといったやり方では追いつかなく、また現実的でもないようになってきているかと思います。状況としてはすでに「多文化・多言語」なのに、医療、教育、福祉などもろもろの制度が追いついていない状況、とも言えるでしょう。

2000年代の最初頃あるところの外国人相談室というのでボランティア相談員をやっていたことがありましたが、日本のややこしさは公用語が日本語であることです。英語圏の国であれば(英語は国際語であるため)、英語が共通言語になりやすいのですが(もちろん100%ではない)、日本語をできる外国人が多くはなく、かつ英語でもかなりの割合をカバーすることは難しい、という状況があります。

かつての方が日本人側に日本語は難しく、外国人だと容易にマスターできないのような思い込みがあったかと思いますが、少なくとも私の主観では、前ほどそうではないように思います。日本人が努力・苦労して英語やほかの外国語を身につけられるように、外国人も日本語を身につけることは可能で、日本語学習に関心を持っている人たちも多いと感じます。

オープンマインドでは、日本語に加え英語での臨床も行っています。上述の通り英語だけですべての人をカバーできるわけでもなく、またそもそもがすべてのメンタルの問題に対応できるわけでもないのですが(これはどんな臨床家であってもまずそうでしょう)、微力ながら貢献できればということでやっています。