トラウマ・PTSD
2023年05月23日

ジャニーズ事務所における性的虐待について

ジャニーズ事務所における性的虐待の話が報道されたとき、私は「なんと!」とは思いましたが、あまり意外にも感じませんでした。芸能界やショービジネスというのは、スターになりたい、歌手、アイドル、タレントになりたいといった願望に対し、こうした不当な扱いが横行しやすい温床のような側面があると思っているからです。

アメリカですと「キャスティング・カウチ casting couch」ということが言われてきました。映画に出たい女優の卵などが、プロデューサーなどといわば「性的な取り引き」をする、というもので、自発的な場合もあるでしょうが強要や交換条件の場合もあるでしょう。大学などの機関でも、「アカハラ(アカデミック・ハラスメント)」と呼ばれ、そのような取り引きがあることは聞かれています。 芸能界にあまり詳しくはなく、かつ今回の話もすべてをフォローしているわけではないので、多少の誤解や情報不足があるかもしれないことをあらかじめお詫びした上で、どちらかと言うと専門的な立場から書きたいと思います。

今回の話が特に悪質だと思うのは、次のような観点からです:

・大人が子ども(未成年)に対してした行為であること: つまりは分類的には「児童の性的虐待」となります。性被害や性的虐待は大人であったからと言って耐えられるものではないですが、まだ発達途上にあり大人に頼らなければならない子ども(児童)にとっては特にダメージが大きく、長期化し得ます。
・「職場」が舞台であること: 被害者には生活や生計がかかっており、またはその希望が与えられているということです。前述の「取り引き」に値するかと思いますが、「夢を叶えてあげるから」という条件があったかと思われ、子どもの側は釣り込まれることになります。親も絡んでいたかもしれません。子どもがタレントになれば親も相応稼げます。こうした側面からこの件は非常に悪質な「労災」としての面もあります。いったん稼いでしまえば抜けるのはますます難しくなります。
・加害者が雇用主・主催者であること: 性的虐待は、親子であってもやはり「親」が「子」に対し強権を持っていることを背景としていますが、雇用主、事務所の主催者であれば一被雇用者(で子ども)であれば手の出しようもありません。助けを求めることもせず(考えられず)泣き寝入りするしかなかったと思われます。ジャニー氏の死後このような話が浮上してきたのも、ますますそのようなダイナミックスを感じさせます。
公になり事務所自体がなくなってしまえば仕事も生活の場もなくなってしまうという不安もあったでしょうし、そもそも口止めされていた可能セも大いにあります。子どもにとっては、起こっている当時自力でそれを解決することはほぼ不可能であり、必ず周囲の大人の手助けを必要とします。
・「家族」的な関係が示唆されていること: ジャニーズ事務所に関わらず、職場や会社が「家族のよう」と言われることはあります。これがあくまで比喩である場合はいいのですが、実態として生活の場(「家庭」的な)で起こったとすれば、通常家庭と職場を行き来して(通勤や通学をして)得られるような、「離れる」「距離を取る」余地がほとんどなかったことが伺われ、被害としてはますます濃度の高いものであったと考えられます。
・長期に渡り、複数人が関与していること: 虐待や被害は、単発よりも繰り返される場合により事態を重くします。いわゆる複雑性PTSDや解離性障害へとつながっていくのです。自分が直接の被害に遭っていないときでも、「仲間」が被害に遭っているのを目撃したり、気配を感じたりすることにもなります。そうしたことが横行している、安全性や尊厳のない環境で暮らしていかなければならない、ということを意味しています。

この問題は、ジャニーズにおける「ケース(症例、事例)」としては特殊なものを孕んでいると思われますが、それ以上にいろいろな側面で示唆的です。一般的に言って、日本において性被害、性的虐待というものがあたかもなかったかのように扱われてきたという、長期的な大問題もあります(一部、以前から地道に取り組んでこられた方々もおられますが、たとえば児童相談所に通告される性的虐待の件数は考えられないくらい低いです。)。こうした土壌が放置されているというのは社会的にも問題であり、かつリスクが高いものです。性加害や性的虐待の被害者は、ほぼ慢性的な(生涯に渡る)なんらかの苦痛や悩みを抱えつづけることがほとんどです。順調に進むはずだった人生が、どこかで頓挫してしまいます。

ずっと叫ばれている少子化という「問題」もこれと無縁ではないでしょう。なぜならば、被害に遭った人(この場合主に女性を想定していますが)は、異性関係や結婚、子どもを産むことなどに「自然に、ポジティブに」向かっていくことが難しくなってしまうからです。とは言え、このようなことを下手に言って、「では少子化を食い止めるために性被害の心理療法をしよう」というのも考える順番が逆転しています。あくまで正義や人権の問題であるとともに、当事者が「なんとかしたい」と思い支援を探すことが一番の力となっていきます。

なお、今回の件は違いますが通常性被害・性的虐待というと男性が加害者、女性(女の子)が被害者という文脈で語られることが多いです。それは、男女という力関係の中で女性が「悪用(虐待、abuse)」されることが多いためであり、またそれを扱った文献も多いためですが、あらゆる性別・ジェンダーの組み合わせが考えられるというのが残念なことです。男性も被害者にならないわけではなく、また女性が加害者である場合もあります。臨床家の方にとっては、こうしたあらゆる可能性に常にオープンでいなければならないという、チャレンジのある状況となっています。