トラウマ・PTSD
2023年08月16日

戦争・戦乱とPTSD(トラウマ後ストレス障害)の関係とは?

昨日の終戦記念日を過ぎてしまいましたが・・・8月前半はいろいろな戦争に関連した記念日もあり、戦争や平和のことを考える機会も多く、考える人も多いのではないでしょうか。

日本で、これもあまり話題になってこなかったこと(と、私は了解していますが、もしかしたら間違っているかもしれません)ですが、戦争・戦乱の体験はPTSDにつながり得ます。これは軍人であるか、一般市民であるかを問いません。PTSD(トラウマ後ストレス障害)とは不安障害の一種であり、トラウマ的体験の再体験(フラッシュバックや悪夢など)、過覚醒・過緊張、トラウマを想起させる状況や刺激の回避、を症状の特徴としています(ほかのすべてのDSMで定義された障害のように、これらの症状がなんらかの社会的・職業的支障を来さなければ、「障害」とは診断されません)。PTSDという診断ではありますが、うつやほかの不安障害とのオーバーラップもあると言われています。「P(Post)」(「後」)なのはこれらの症状が直後というよりは少し、また場合によっては数十年も経過してから出現するからです。

なぜ遅れて出現することがあるのか? それは、(PTSDに限りませんが)「症状」を表現するにもある程度の安定や安心、表現しても(訴えても)大丈夫と思われる環境や空間、対人関係などが必要だからかと思います(そのため、心理療法ではそのような空間を構築するように心がけています)。

さて、戦中・戦後史にそれほど詳しくもないですが、日本は復興に邁進し、これらのメンタルな問題や課題には、あまりそういう方向からは向き合ってこなかったように見受けられます。衣食住がまず確保されなければならないのは事実なのですが、たとえ衣食住が確保されてもメンタルな問題は手つかずなままだと残り続けます。「時が癒やしてくれる」場合もありますが、そうでないときも多いのです。

結果、癒やされて(治療されて)いない部分は、ストレスとして抱え込まれつづけ、状況によってはDVや虐待、あるいは依存症という形に「はけ口」を見いだしていったのでは、というのが私の仮説です。依存的傾向は、心理的な苦しみを紛らわすための「自分への処方(self-medication)」と考えることができます。依存症にはもちろんアルコールその他の物質依存も含まれますが、働き過ぎ・仕事中毒(いわゆるワーカホリズム)も含まれます。復興やあるいは経済成長などはプラスの意味を帯びていますから、ワーカホリズムは「正当化しやすい」「依存」であったと思われます。その弊害は今日の労働環境までつづいてしまっていると言えるでしょう。

一方のPTSDですが、欧米の精神医学界ではすでに戦争に絡んで心理的・精神科的症状や障害があることは報告されていましたが、「PTSD」という形で診断名が成立したのはヴェトナム戦争を受けてのことでした。ヴェトナム戦争では、米国内でのイデオロギー的な対立も激しく、戦闘も激しくかつ帰還への時間も短かったということで、自分がした戦闘行為や残虐行為からの罪悪感と、帰国後の社会や家族の反応との板挟みになり苦しむ帰還兵(ヴェテラン)が多かったと言います。さまざまな映画などにもなっているかと思います。それ以前、しかし米国では第二次世界大戦後を受けて「臨床心理 clinical psychology」というものが成立していますし、またイギリスでもフロイトの娘である分析家、アンナ・フロイトが戦争後の女性や子どものケアに注目し、臨床活動を行いました。

心理的なものに関してはどうしても「輸入」になりがちな日本において、1970年代に成立したPTSDという概念を、それよりさらに昔(1940、50年代)の戦後の状況に当てはめる、というのは難しかったと言えるかもしれません。心理・精神科の診断というのは不思議なもので、自分では訳の分からないいろいろな不調を経験していると思い、しかし診断の項目のだいたいに該当するというのが分かると、「そうだったんだ」と腑に落ちる体験をする人もいます。診断というのは両刃の剣であり、診断を受けることによりレッテルを貼られたように思い、再起不能・治らないと信じたり、自分のアイデンティティを傷つけられたと思ったりしてしまう人も少なくありません(多くの障害は適切なケアを受けることにより軽減・回復する可能性があります)。

さらに言えば、過去のその人の記録などを読んで、あの人は「○○障害」を持って板に違いない、のように言われたり、研究がされたりすることもあります。たとえば南方熊楠など、いろいろな「病名」が挙がっている人です。当時そうした診断やケアはなかったわけですから、後づけの憶測に過ぎません。米国の前大統領トランプ氏についてもいろいろ言われていますが、こうした「憶測」については、私は診断やアセスメントの初歩に返り面接(インタビュー)の状況にあり当人を目の前にしてやり取りをした上でしか、ベストな「答え」には行き着けないと思っています。そのため、憶測や仮設は憶測や仮設に過ぎない、ということです。(「診断」自体ベストな仮説でしかないという側面もあります。)

話がやや逸れましたが、今からでも戦争や戦後が日本人のメンタルの問題や家族関係などにどう影響してきたかをある程度検証することは可能なのかもしれません。戦争をある程度以上の年で経験した世代の方々はすでに他界されてしまっていることも多いですが、その子どもたち(第二世代)はまだまだ健在な人も多いでしょう。現在の働き方や家庭のあり方、またメンタルの問題のパターンなどになにかの関連が見いだせるかもしれません。PTSDにつながる(そして、さらに負の波及効果がある)という意味でも、戦争は回避され平和が維持されるべきだと信じています。

(注: オープンマインドのセラピストは日本での資格は公認心理師であるため、正式な診断を下す権限は持っていません。ですが、心理療法を行っていく上ではある程度の診断的な方向性は必要であり、これはどの心理士もある程度心がけていることかと思います。臨床心理学の教育を受けた米国の大学院博士課程では診断およびアセスメントは講義・病院実習両方で学んでいます。ここに診断について書いていることは、ある程度その経験や文献を通じての知識に基づいたものです。)