心理療法・カウンセリング
2023年09月29日

心理療法は自分なりのナラティブ(語り)を作っていい場所

心理療法やカウンセリングに来られる方で、どう話したらいいのか分からない、とおっしゃる方は少なくないです。これは根本的な「問題」で、というのもそもそも話すことが苦手だったり、人と接することが苦手だったりする人が、うつや不安などを抱えやすいということもあるからです。

答えとしては、「どのように話していただいてもいい」です。まとまっていなければとか、伝わりやすくなければということはなく、こちら(セラピスト)側はばらばらの、まとまっていない情報でも聞いていくことができますし、分からないところは(差し支えのない程度に)質問していきます。そして、すべてがすぐ分からないといけない訳ではなく、そもそもそうであったら、心理療法やカウンセリングなんか要らないということになってしまいます。いわゆる初回面接(最初のセッション)というのは、お悩みやその背景、家族関係や親子関係などを知るために、どうしても質問していくことが多くなりますが(こうしたパターンは2,3セッション目くらいまでつづくこともありますが)、基本姿勢としてはセラピスト側が話を聞いていく、話がしやすいような質問やコメントを交えていく、という形になります。(まったく話さないで聞いていくというスタイルのセラピストもいますが、オープンマインドでは基本そうではないです。)

つづけていくうちに話をするのがそれほど難しくなくなったり、まとまった形で話せるようになったり、あるいは人とコミュニケーションするのが前ほど苦手でなくなったりします。これは「練習」を重ねる効果というのもあるかと思います。メンタルの悩みや問題は多くコミュニケーションや対人関係の苦手感から来ているので、これを通じてそうした悩みも減っていく、ということになるのです。

もう一つは、日本においては「話せる人」あるいは「偉い人」(学校の先生やリーダーなどを含む)が話し、それが方向性や空気を決めていく、のようなことがあります。これは、日本文化が「集団」や「調和」を重視しているためです。そのため、自分が「平」だと思っている人は、あえて自己主張をしたり反対意見を述べたり、自分の「スペース」を持ってそこで自己表現したりしようとはしません。流れについていくという感じかと思います。

ところが、アメリカはじめ「個人主義」の国ではそうではありません。「平」であろうがなかろうが、偉かろうがなんだろうが、自分が思ったり感じたりしたらわりとさらっと言います。「主張」という気負いもないかもしれません。アメリカの大学院で驚いたことの一つは、比較的基本的な、要は「くだらない」と思われるような質問でも、堂々とする学生がいるということでした。ある意味移民の国なので、ほかの状況でも、基本的な質問をしてもなんでそんなことを訊くの、という態度に出会うことはあまりありません。

話がやや逸れましたが、どんな人でも自分の「ナラティブ」、つまり語りをすることはできる、ということです。そのためのスペースが心理療法やカウンセリングのセッションであり、誰かに話を聞いてほしい、言いたいことがあるけれどその人には言えない、誰に言ったらいいのか分からない、というようなときには、ぜひ活用していただきたいのです。その積み重ねが、変化となっていきます。