トラウマ・PTSD
2024年01月05日

人に(比較的)分かってもらいやすいトラウマと、そうでないトラウマ

新年早々、能登半島において大きな地震が起こってしまいました。まったく驚きましたが、自然界は独自のエネルギーで動いていて、人間の都合やカレンダーなど構ってくれるわけではないのだと思います。

地震(やそれに関連した津波、火事、避難によるストレス等)による被災は「自然災害によるトラウマ(心的外傷)」と言うことができます。特に日本は地震大国でもあり、また台風の襲来も多く、こうした自然災害にはよく言われているように備えておくしかない、という側面があります。遭わなかったらラッキー、と言うこともできます。

ここで注意が必要なのは、そうした「出来事」(自然災害などの)に遭ったとしても、全員がPTSD(心的外傷後ストレス障害)やそれに関連した不安、うつなどのメンタルの問題や障害を抱えるわけではない、ということです。症状が出るかどうか、また診断されるほどであるか(診断がつくには、いくつかの事項に該当する必要があり、通常1つ2つといったことでは、該当しません。心理療法・カウンセリングについては、診断のあるなしに関わらず取り組んでいくことができますが)は、そうした出来事が起こっている間のコントロールのあるなし、性格的な傾向、環境やサポート、それ以前のトラウマの有無など、多くの要因によって決まってくることと言えます。

症状を持つに到ったからと言ってその人が「弱い」わけでもありません。被災者や被害者、メンタルの問題を呈する人を責めたり差別したりするのは根本的に間違っています。

自然災害のような形による「集合的トラウマ(collective trauma)」はそれでもまだ多くの人が同時に被災するために、比較的話題にされやすく、それなりにプロセスされていくという特徴もあります。テレビ、新聞その他のメディアなどでも、もちろんニュースとして取り上げられ、話題となります。

「当たり前でしょ」と思われるかもしれませんが、世間ではそのほかに簡単には話題にできないような、タブー性の高いトラウマというものも数多く存在します。これらの多くは「個人的トラウマ(individual traumaまたはpersonal trauma)」と呼ばれます。これの最たるものは性的虐待や性被害ですが、そのほかにもその他の虐待(身体的虐待、心理的虐待、ネグレクトなど)、暴力やDV、ある種の病気、犯罪や違法行為がらみのことなどが挙げられます。トラウマの中には、そもそもが情動(気持ち)やショック、断片的なイメージなどとしては体験されるけれども、記憶に残りにくくまた言葉にもたやすくはできないというような類いのものもあります。まさしく「無意識の中に記憶されている」といった体験もあるのです。

このような履歴のある人が自然災害などで被災した場合、そうした以前のトラウマが刺激されて辛いのに、さらに人には言えない、分かってもらえないといった二重の苦しみに置かれることもあります。あるいは刺激されることにより甦ってくるということもあります。もちろんこうした以前の「個人的な」トラウマがない人であっても、被災に関してはいろいろな個人的・公的な事情があり、話題にできたとしてもなかなか思うに任せない悩みなどがあるかとは思います。

被災や避難などの場面では、以前からのメンタルの悩みやトラウマを抱えている人も含まれているかもしれないということを配慮するのがいいのだと思います。と同時に、こうした体験は軽々しく人前で話題にできることでもないので(そのためにカウンセリングや心理療法における守秘義務といったこともあるくらいです)、なかなか難しいところでもあります。集団における支援やケアの状況では、なかなか個別のニーズの違いには対処しにくいということもあるかと思います。しかしメンタル的なニーズがあるのであれば、それに耳を傾けることや、応えてあげようとすること(すべてが叶えられるわけではもちろんないにせよ)などにより、悪化を防ぐことなどが可能でしょう。何よりも聞いてもらっていない、分かってもらっていないということがトラウマをトラウマたらしめることだからです。以前からのトラウマがあると自覚している場合には、ふだんから心理療法などの適切なケアを受けておくことにより、万が一不測の事態に遭ったとしても自分で対処したり、悪化を防いだりすることができるでしょう。

(なお、PTSDというのはトラウマ体験後1ヶ月以上続けて症状があるものを言い、直後に出てくるものはASD=急性ストレス障害と言って区別しています。)