トラウマ・PTSD
2024年03月15日

性的虐待サバイバーと心理療法

いわゆる「子どもの虐待」にはいくつかの種類がありますが(身体的虐待、性的虐待、情緒的・心理的虐待、ネグレクト)、そのうち性的虐待はもっともタブー性が高く、世間でも理解・認知されていないものかもしれません。そのため、「見えない障害」として、当事者は人知れず(場合によっては自分でもサバイバーであることを知らず)苦しんでいることが多いです。

しかし、その「後遺症」とも言えるものは、長期に渡り、一生に渡ることすら珍しくないと言えます。なぜなら、人生の早い時期(子ども時代、場合によっては幼い頃にも)に起き、本質的に身体やこころの「コア」の部分に影響してしまうため、その後の性格形成やコミュニケーション、対人関係、認知等々に全般的に影響してくるからです。

具体的には、解離(そもそも記憶が欠損している、記憶が感情などが分離された状態で保管されている、等々)や回避(意識にものぼせない、必要なことであると分かっていても手が着かない・できない、等)をはじめ、それらに伴う不安症状やうつ、PTSD的な症状などが挙げられます。

また、虐待体験やトラウマそのものばかりでなく、そのベースとなっている愛着障害(親子・家族関係などの歪み)的なものもあることが多いように見受けられます。そもそも、愛着関係がうまく機能していないことで、子どもはより「守られていない」状態になってしまうからというのがあるのだと思います。また、ある程度のコミュニケーションや信頼関係があれば、子どもがSOSを発したとき、大人がそれに応えるということもできます。そもそもそこが機能していないということもあり得ます。

性的虐待は対人関係において起こるために、対人関係に回避や難しさが起こることがふつうです。その加害者は、多くの人が想像するだろう「赤の他人」や「通りすがりの人」であることはむしろ少なく、子どもが信頼しているような相手、多くの場合は家族・親族であり、同居家族であることも少なくありません。

「解離」といったことを起こすのは、大人(親など)に依存せざるを得ない子どもが、虐待体験を抱えつつもその場で生き延びていくために、「虐待された自分」と「それを知っていてはまずい自分」とに無意識的に分離するため、というのもあります。虐待した側(親など)がそれを認めたり修正したりすることは稀です。なぜなら、それは当人にとっても「都合の悪い」ことであり、当人もそうした行為を受け入れていない(ほぼ無意識的である?)ためだと思われます。(深刻さによりますが、家庭内での犯罪行為であったり、不倫であったりと考えることもできます。)

虐待体験はこのようにして認知されたり語られたりすることがないため、サバイバーのこころのどこかに潜んでおり、なにかのきっかけ(これまでにないストレスを経験しストレス過多になったとき、ほかのトラウマや喪失体験などがあったとき等)で浮上してくることも少なくありません。中には、かなり年齢が上がってから「思い出す」ケースもあるようです。

このようにして、性的虐待サバイバーにとっては、それを自覚していればストレス等をマネージしていくこと、自覚していなければ回避などがつづき、あるときまるで「時限爆弾」のように出現しうる、ということになります。

性的虐待サバイバーの心理療法は可能ですが、性質上長期に渡ることが多いです。焦ってプロセスしようとするとそれがまたトラウマとなってしまう可能性があるので、根気よく条件を整えた状態でつづけるのが理想的です。セラピストとの信頼関係が必須であり、しかしその中には虐待的関係やパワー(力関係)、不信感、裏切りなども元の関係の「再現」として出現してくるため、その都度信頼関係(専門的には作業同盟・治療同盟などと言いますが)の回復が必要となってきます。

対人関係上のトラウマであるということで、性機能(恋愛や結婚、妊娠・出産など)や家族関係(結婚、パートナーとの関係、親子関係、子育てなど)に負の影響や難しさなどがあることも多いので、それも都度対処していくこととなります。

特に精神分析的アプローチによるこのような心理療法は、もっとも非侵入的であり、非指示的でもあり、そのためにクライアントに主導権があり、自分のペースで自分の思った方法で進めていけるという利点があります。PTSDに関するメタ分析研究*でも、この点において精神分析的アプローチは優れているとされていました。

このようなプロセスに入るのにはそれなりの覚悟は要りますが(知らずに始めていてあるときサバイバーだと判明することも少なくありません)、同時にやっていけば長期的な効果があります。虐待体験をプロセスしある程度「統合」することができれば、それに支配されたり振り回されたりすることも少なくなり、自分で自分の人生をコントロールして主体的選択ができるようになります。あらゆる側面での創造性も増します。一般的なゴールとしては、虐待体験が自分にとってどのような意味があったか・あるかを見いだす、ということが挙げられますが、もちろんそればかりではありません。虐待体験をキャリアや仕事、創造的活動やライフワークなどに活かしていく人もいます。

*Imel, Z. E., Laska, K., Jakupcuk, M. & Simpson, T. L. (2013). Meta-analysis of dropout of treatments for posttraumatic stress disorder. Journal of Consulting and Clinical Psychology, 81 (3), 393-404.