トラウマ・PTSD
2024年05月13日

エリザベス・キューブラー=ロスの「悲嘆の5段階」

あるところで、この重要な理論・モデルについてリマインドされたため、書いています。一時期よりは、あまり話題にされないように思うのですが気のせいでしょうか。提唱・出版されてだいぶ時間が経っているというのもあるかと思います。エリザベス・キューブラー=ロスは、北欧からアメリカに移民し、大切な人などを亡くした際の「悲嘆(グリーフ)」に関わる仕事をし、悲嘆には段階があるという重要な説を発表した人です。日本では『死ぬ瞬間』というやや意訳されたタイトルで、鈴木晶氏の翻訳があります。

亡くすこと、喪失はさまざまな感情的な反応を引き起こし、一昼夜にしてなんとかなるようなものではありません。彼女は、悲嘆のプロセスがある段階を移行していくことに気づきました。

「否定」・・・喪失やこれから起こるであろう喪失があたかも存在しない(しなかった)ように否定する状態

「怒り」・・・喪失に関する怒りが湧き起こってくる段階

「取り引き」・・・なんとか状況を変えられないかと、いろいろ交渉したり取り引きをしてみたりする段階

「うつ状態」・・・喪失がどうにもならない現実であることを悟り、落ち込む段階

「受容」・・・喪失を現実として受け入れる段階

このような「段階説」(stage theory)は心理学によく見られるもので、慣れない人が見ると「そんな簡単に『段階』になんかなるわけがない!」と反駁することもありますが、あくまで簡略化されているだけです。この順番で起こらない場合もあれば、行ったり来たりする場合もあり、特に家族など大切な人を亡くした場合には、長引いていわば「悲嘆と生きる」のようになる場合もあります。要はケースバイケースだと言うことですが、それでもこうしたモデルが参考になることは確かかと思います。

悲嘆は時間とともに薄れていく場合が多いのですが、故人(やその他亡くしたもの)との関係が複雑だった場合、必要以上に長引いたり、あるいはほかのメンタルの問題に発展したりすることもあります。そうした場合や、自分だけで感情に向き合っていくことが難しいと感じた場合は、心理療法やカウンセリングが助けとなるでしょう。

蛇足ですが子ども時代のトラウマ的な経験についても、悲嘆のプロセスは大いに関わりがあります。この場合、亡くなるものは理想化された子ども時代(=幸せでなにも問題はなかった)や理想化された親(=いい親だった、私を愛していた、私のためにやったこと、等)などです。現実から離れた理想化がつづくと、現在の現実についても目がかすんだような状態になってしまいます。つらいですが徐々に受け入れていくしかないということになります。ここでは親子のことを例に取りましたが、相手が上司であったり、パートナーであったりしても基本同じです(が、関係性の違いというものはあります)。

なお、「トラウマ」という言葉は厳密には喪失(によるトラウマ)も含むと思うのですが、それを含めないで使われている場合もあります。子ども時代の「トラウマ」と言って思い浮かぶもののほかに、実際に親と死別や離別を経験している子どもや大人もいます。こうした経験はその後の人生やメンタルヘルス等に複層的に絡み合っていくことになります。日本で起こっている、地震など自然災害の被害にも深く関わるところです。