2018年11月26日

異文化コミュニケーション~知ろうとすることと知ってもらうこと

英語は一応仕事で使えるレベルですが(使っていますが)、第二外国語であるフランス語は
万年中級以下~のような状態です。やはり実地で使ったことがあるかどうかは大きいですね。

さて、Facebookにフランス語やフランス文化に関するページがありまして、けっこう
いろいろな話題があるため楽しめるのですが、最近、フランス人に「温泉に行きたい」と、
単に直訳して言っても(文法的に正しくても)通じないだろう、フランス人は湯治(治療)
目的でしか温泉に行くことがなく、日本人が単に「温泉、行きたい!」といったときに
付随するいろいろな愉しみは理解できないだろうから、説明してあげないといけない、
という話が載っていました。

これを最初に読んだときまず思ったのは、正直反発でした。そこまでいちいちくどくど
説明しないでも、「温泉行きたい!」に対し、相手が「なぜ?」とか「何をするの?」
とか訊いてきた時点で、説明すれば良いのでは? それが会話というものでは?とも
思ったからです。

ここには、こちらはフランス文化における温泉のあり方について知っているが、向こうは
日本文化における温泉のあり方について知らないだろう、という前提がありました。
つまり「知っていること」の不均衡が前提となっているのです。
さらに言えば対等ではないのです。

日本人は外国文化を摂取し始めてから外国文化の摂取に熱心ですし、憧れや情熱もあります。
そして、なんとなく特に欧米に対しては、自国文化は劣っている、理解してもらえなくても
当然だ、といった思い込みがあるのではないでしょうか。

一方、少数だとしても「日本マニア」「日本好き」(英語でJapanophile)といった人たちは
いて、下手すると日本人よりよくある分野について知っていたりします。

増える外国人観光客(インバウンド)について、また東京オリンピックに向けて「おもてなし」
を、と思うのは分かるのですが、すべての文化や言語に対応することは多分できないでしょう。
あちらが日本を知ろうとする力、好奇心、興味、といったことにもっと頼ってもいいように思う
のです。

上に、「対等ではない」と書きましたが、すべてのコミュニケーションが対等であり得るとは
言いませんが、対等でないことでいろいろ「余計な」ものが生じます。代表的なものとしては
劣等感・優越感、軽蔑、卑下、嫉妬、妬み、などが挙げられるでしょう。

パワハラやジェンダー問題などにもこうした感情は絡んでいますが、「違う人」に接する
ときは、まず「対等」を出発点に考えるといいと思うのです。その上で例えば「サービス業
だから、おもてなししてあげたい」「ゆっくりくつろいでもらいたい」等々、「ここは
ここまで不均衡(不平等)でもいい」というラインを決めると、余計なストレスがないのでは?
と思います。

異文化コミュニケーションやインバウンドというと、多くの人が「英語」やまた別の言葉を
思い浮かべるでしょう。ですがよく言われるようにコミュニケーションのうち言語に依存して
いる割合は案外少なく、多くは非言語コミュニケーションの部分が担っているのです。
ですから英語(や外国語)だけでなく、コミュニケーションとは?というところを考え
対策することが、「インバウンド対応」になるのではないでしょうか。