みなさんは旅が好きですか? 罪悪感なく休暇を取ることができますか?
旅はとても大切なことだと思っています。なぜかと言うと、違う場所や人々、暮らしぶり、文化などを垣間見ることができるからです。違っていても生活できるということを目の当たりにすることによって、今の自分の生き方や人生を見直す機会が与えられます。
また、旅の仕方にもよりますが、旅にはいろいろなチャレンジやアクシデントがありがちです。日本は比較的予想通りに物事が起こる場所ではありますが、海外旅行された際にキャンセルや遅延、その他突発的なことに見舞われたという方も少なくないのではないでしょうか。そうしたときに対応することで、日常でも対処能力が上がっていくことも考えられます。旅はいい面も悪い面も、またとない経験となるのです。もちろん、素晴らしい景観や空間、雰囲気、地元の人との交流などが思い出となることもあるでしょう。
旅に出ることとは、日常を離れることです。ふだん我々は(出張がちであるとかいうことがない限り)職場と家の往復といった、比較的限られた範囲で生活しています。いろいろ、変化や変事があるとは言え、どうしても体験は限られてきてしまいます。その点、旅立てば日常を離れ、違う風景や違う動きに入っていくことになります。
旅にはそうして、人との分離という側面もあります。職場や家などの場所を離れること、同僚や家族などの人といったん別れ、また再会を期す、ということになります。もし、別れることや場を離れることの不安が強ければ、旅立つことは難しくなるでしょう。
実は心理療法も日常の場を離れることに相当します。セラピストのオフィスに入り、集中して話していると、終わるころにはまるで別の場所にいたかのように感じる場合もあるかもしれません。特に人によっては、小さい頃の話、別の場所で起こったことの話などはそうした感覚の違いを生む可能性が高いのではないかと思います。これは、我々の体験が「環境」「コンテクスト(文脈)」に埋め込まれた形で記憶されているせいもあるかと思います。
セラピストともまた、小さな出会いや別れが繰り返されます。セッションの終わりにはあいさつをして、別れ、また次のセッションの始めでは再会があります。これが連綿と繰り返されていくとも言えるでしょう。いいセラピストは、別れ(分離)や再会の効果について、ちゃんと観察し、感覚を研ぎ澄ませているかと思います。分離・再会の周辺の感情は、愛着理論とも関係が深いからです。
長期の心理療法であれば、お互いの出張や休暇などもどうしても生じてきます。これはセッション間の別れとはまたちょっと別で、不在(または、別の場所にいるということ、合わないということ)をどう経験するか、ということに相当します。仮に不安やうつといった症状が落ち着いていても、セラピストの不在中によみがえってきてしまうとしたら、また十分に治療の成果がクライエント自身のものになっていない、と言えるでしょう。
仮に休暇や休日を取って、旅などに出かけなかったとしてもそれも一つの過ごし方です。家や近所でまったりしたり、片付けものやたまった雑用をするというのもあります。一番問題なのは、やはり働きづめでそもそも自分になにが起こっているのか、分からなくなっているような状態(過労、ワーカホリック)ではないでしょうか。ペースを変えるのはときに不快かもしれませんが、客観的に見て働き過ぎなのであれば無理にでも休むべきでしょう。