2019年03月14日

自己心理学とナルシシズムの「復権」

前回(3月6日のブログ記事)につづき、ナルシシズム(自己愛)について書いていきます。自己愛はフロイトが提唱した概念であり、乳幼児期の発達には欠かせないものです。ただ、ある必要な時期を超えて持続する過剰な自己愛は、「病的」なものであると見なされると書きました。特に自己愛的人格障害を含む、人格障害の診断は、思春期以降(多くは成人)しかできないものですから(ここは世間で誤解があると思うのですが)、大人になっても自己愛的、というのは「病的」「不適応」と見なされてきたと言えます。

心理療法家や精神分析家の自己愛はどうなのか、おそらく議論が分かれるところだと思われますが、職業によっては自己愛的なところが求められ、それがないとむしろやっていけないようなものもあります。典型的には俳優などのパフォーマー、人前に立って何かする人がそうであると言われ、政治家などもこれに含まれてしまうのかもしれません。そうした人たちには通常「病的な」レベルとされる自己愛を示す、あるロールシャッハ・テスト(インクのしみのような絵を使った、投影的人格検査の一種)上の反応が不可欠であるとさえ言われており、人並み外れた自己愛の支えがあってこそできることもあるのかもしれません。

これに対し、時代の変化や文化の違いもあったのでしょうか。「自己心理学 self psychology」(またはコフート派、Kohutian)と呼ばれる精神分析の一派を確立したハインツ・コフート Heinz Kohutは、「大人の自己愛」=即、「病的」ではなく、自己愛的でも健康・健全なタイプもいるということを打ち立てた精神分析家です。彼は、自己愛的な傷つきに対し、その感情的な経験が治療者によって認められることの重要さを解き、そのための技法(修正的感情体験 corrective emotional experienceや持続的共感的な問いかけ sustained empathic inquiry)を確立し、境界性人格障害や自己愛的人格障害の治療などに力を発揮しました。

ニューヨークでの大学院時代、よく冗談のように聞いたのは「ニューヨークの心理療法家はみんなある程度ナルシシストである」ということです。たしかに、臨床家としてやっていくためにはある程度の成功が求められますし、人からの賞賛や認知、感謝などによって心理療法家の自意識も支えられているという側面もあるでしょう。コフートの理論の線で言えば、多少過剰に自己愛的であっても、自分の良さやできることなどを周りに分け与えられるタイプの人は「健全な」ナルシシストであると言ってもよい、ということになります。

フロイトの古典的精神分析に始まり、その後自我心理学、対象関係論、自己心理学、そして関係性精神分析と精神分析も進化しています。臨床上は、いくつかの考え方を組み合わせている場合もありますし、この人にはこの理論がしっくり来る、というのもあれば、臨床家によってはある特定の理論を中心に臨床をしている場合もあるでしょう。臨床の方は、理論とは違い実際の人や状況に合わせフレキシブルになる必要があります。精神分析学の学問としては勝手に思うがまま変えていいというわけではないのですが、時代や場所・文化に合わせ、精神分析も変化を遂げてきたということでしょう。