2019年04月08日

なぜジェンダーが大切か

最近、女性の活躍や社会進出が謳われたり、セクハラなどの問題が取り上げられたり、さまざまな側面からジェンダーがらみの問題が注目を浴びています。なぜ、ジェンダーが大切なのでしょうか? あらためて考えてみました。

私たちは、生まれたとき、あるいはその前にはすでに生物学的な性別(身体的に男か女か)はほぼ決まっていますが、ジェンダー(社会的な意味での性別)についてはかなりまっさらの状態です。(ほぼ、と言っているのは生まれつき男女どちらか分かりにくいといった方もいるからです。)ジェンダーは、生まれてから女の子・男の子として扱われること、どう呼ばれるか、どう言われるか・・・などで、また親などとの関係を通じて形成されていきます。ジェンダーは私たちのアイデンティティの中でも根幹的なものですが、同時に生まれたときには「色」はついていないと言っていいのです。

性格や好みなどは、ある程度身体の性別から来るところもあるかもしれませんが、特に当人が何をやりたいか、何を好むかなどはかならずしも世間で「これは女のもの」「これは男のもの」と決められているものと一致するとは限りません。自分自身が誰であるかと、こうした社会の基準が食い違った人は、その不一致のために苦しむことになってしまうのです。

それを一致させるために、例えば世間で言う女なり男なりに適合しようと思うと、今度はその不一致のためにメンタルヘルスの問題を経験しかねません。自分自身を押し殺しながら生きることはストレスが多く、精神的に健康であるとは言えないからです。そうした不一致を解消するために、性転換を試みたり、いわゆるLGBTQのように、パートナーの性別に非伝統的なものを求める人もいるでしょう。

伝統的なジェンダーと自分のやりたいこと、やっていることが一致している人はその意味では比較的幸せと言えるかもしれません。子育てにやりがいが見いだせる女性、外でバリバリ働きたい男性などです。しかし、世の中そういう人たちばかりでなく、女性も外で働くことから、また男性も子育てをすることから学べることもいっぱいあります。要は、ジェンダーの壁を突破することで男女とも学びや経験の幅がぐっと広がるのです。

女性の活躍や社会進出という点について言えば、よく言われることですが女性独自の視点を持ち込むことでこれも「幅が広がる」ことが期待されます。生物学的に子育てをする主体とされているせいか、女性は一般にコミュニケーション能力に優れ、国際社会で活躍していることも稀ではありません。また人の世話をしたり育成すること、人をつなげコミュニティを作ることなども女性が得意とすることでしょう。これは、そういった領域(たとえば保育、教育、看護、介護)などに女性が留まらなければならないということではなく、そうした面や長所を、社会の他の領域にも持ち込んでいけるということを意味するのだと思います。

女性の発達・成長、生き方ということを考えれば、女性が自分の「身体」と出会うときはそれなりのチャレンジを伴うと言えるのではないでしょうか。たとえば思春期、結婚、妊娠・出産、更年期といった時期です。仮にこころと頭が女性であるという身体的な制限から解放されていたとしても、こうした時期には「身体の現実」にも向き合わざるを得ないからです。避けて生きていけなくもないでしょうが、女性が大なり小なり取り組んでいかなければならないことではあるでしょう。

オープンマインドでは、いろいろなステージにある女性がより「自分らしく」生きられるように支援するとともに、その女性となんらかの意味でつながっている男性(息子、夫、パートナー、父、など)も支援します。個人の方にはカウンセリングや心理療法、ワークショップなどを提供するとともに、企業・団体におけるセミナー・ワークショップなども主催し、社会全体の大きな変化の流れに追随していく、あるいはその流れを作り出していく手助けをいたします。