2019年06月10日

楽譜と音楽、言葉と体験

音楽家の知人が、楽譜と音楽の関係について面白いことを言っていました。音楽家にとって、楽譜はただの「紙の上に書かれた記号」ではありません。そこから、メロディーやハーモニーはもちろんですが、曲調やスタイル、楽器を弾く身体の動きや感覚、これまでの演奏体験、合わせる相手がいればその演奏やそのためのコミュニケーション・・・などが詰まっています。まさに紙の上の「一つの黒い点」から、広く深い宇宙が広がっているのです。

これは、心理療法における言葉についても言えます。心理療法で話される言葉は、特に深い感情的体験をシェアできていない人にとっては、ただの「言葉」に近い状態にあります。そうした場合、往々にして症状やコミュニケーション・人格の問題となってしまっていることが少なくありません。そこで、私たち臨床家は、クライアントがどんどん先へ話して進んでいってしまうのを、止めて、その「言葉」を(ちょうど楽譜から音楽のように)『展開」するのです。

たとえば、中学時代「いじめ」に遭った、という人がいたとしましょう。「いじめに遭った」と言ってくれることで、つらい体験、時期があったのだな、ということは分かりますが、どのような「いじめ」だったのかは分かりません。話す本人にとってつらいことではありますが、「どのような」いじめだったのかを詳しく語ってもらうことで、全体像が他者(=セラピスト)にも分かり、理解してもらうことができます。自分にとってどういう体験だったのかが自分でも客観的に分かるとともに、他者にも理解してもらうことができるのです。癒しはこういう形で起こっていくと言えるでしょう。

また、心理療法・カウンセリングのセッションは物理的には一対一ですが(個人セッションの場合)、その背後にはいろいろな「人」たちがいます。クライアントが育った家庭の家族、先生や友だち、現在の家族や同僚、友だちなど・・・セラピスト側にも、実は現在の同僚や家族、自分のメンターなどがおり、クライアント側のように原則その話をするわけではありませんが、そうした「つながり」は実はセッションやカウンセリング・ルーム内でも機能していると言えるのです。こうして見ていくと、たとえ孤独に感じている人であっても、まったく「つながり」がないということはありません。どこかでつながって生きているのです。

元に戻って音楽のたとえで言えば、一人の人の一時期や人生全体もソナタや交響曲などのまとまった楽曲、あるいは作曲家以上の豊かさや深みを持っています。自分や自分の人生が取るに足らないと思っている人は、その豊かさを捨ててしまっているのです。これは実にもったいないことで、自分をあらためて掘り起こし耕すことで、自分の中に多くの可能性や力が眠っていたことが分かるのではないでしょうか。人は多種多様、一人一人がユニークであり、症状があったり、人間関係や仕事がうまく行かないという場合は、なんらかの事情によってより深く自分を知り、学び開拓する機会を与えられてこなかったから、と言うことができるのではないでしょうか。逆に言えば、誰でももっと充実して生きることのできる可能性を秘めているのです。