みなさんは「愛着」とか「愛着理論」、「愛着関係」、「愛着障害」などという言葉を聞いたことがあるでしょうか。愛着関係とは、人の成長の基盤や情緒的基盤となるもので、そこを基点として外で挑戦していける、またなにかあったときには戻ってくることができるような安定性・信頼感をもたらす関係を言います。愛着の理論を唱えたボウルビィによれば、愛着とは「危機的状況にさいして、あるいは潜在的な危機にそなえて、特定の対象との近接を求め、またこれを維持しようとする個体の傾性」を指します。また、一般には「親と子の間に形成される緊密な情緒的絆」ともされていると言います(井上・久保、1997)。
子どもにとって、通常最初に愛着関係を築くのは親(多く母親、またそれに変わる人)であり、この関係がどう築かれ、どんな質であるかによって、その後の子ども(やがては大人)の人間関係や情緒などが大きく影響を受けると言われています。 親との間にたとえネガティブなことがあったり、あるいは一貫性がなかったとしても、関係を築かないということは子どもの生存のために不可能であるため、ネガティブな、あるいは歪んだ関係が築かれることもあり、それはその後展開していく人間関係や人生にも波及していくことになります。
セラピー、特に長期に渡る心理療法は愛着関係の形成と無関係ではあり得ません。定期的にセッションをしている場合、再会し、話をし、別れるということが繰り返されます。そこに再会のとき、また別離のときどういう振る舞いをするかが表れ、また「外」であった何をどういう風に話すか話さないか、また会っている相手についてどういう風に話すか話さないか、といったことが表れてきます。これらはクライアント、セラピスト双方の気づきにより、より「あるべき」愛着関係を再構築していくための手がかりとなります。
実際、ある種のクライアントには愛着関係の再構築・再形成が必須となるような場合もあります。そもそも両親から受けた愛情が乏しく、あるいは歪んだ形であって、愛情の感じられるような関係を必要としており、その代償として依存的な行動があるとき。両親はいて、育ててもらい、学校などにも行っているのだけれど、気持ちの面で両親に振り向いてもらっていなかったり、困ったときに助けてもらえなかったりしたまま生きてきたという場合。両親との離別・死別などがあったり、施設や里親の元で育つなどして、家庭がなかったり、家庭環境が「一般的」でなかった場合・・・などです。
長期のセラピーにおける愛着関係はまた、お互いの人生で起こるいろいろな「出来事」を乗り越えていくことでもあります。引っ越し、転職や仕事の変化、家族構成の変化、その他もろもろあります。変化があったとしても関係を維持したり修復できたりという能力は、セラピーの外でも、人間関係を維持・修復するのにも役立ちます。特に生じることとして、セラピストの休暇(またはクライアントの)は、クライアント側にとって「代理の親」としてのセラピストの在・不在と、その影響に思い当たるのに役立つきっかけとなります。一部の重篤な患者を除いてになるのではないかと思いますが、セラピストがべたーっと365日いるような状態では、決してクライアントの成長や自立には役立たないでしょう。愛着関係のやり直しと言っても、文字通りいっしょに暮らして毎日やり取りするわけではなく、あくまでセラピーのセッションの中や構造を使って、それを改善していくのです。
長期のセラピーにおける愛着関係はまた、お互いの人生で起こるいろいろな「出来事」を乗り越えていくことでもあります。引っ越し、転職や仕事の変化、家族構成の変化、その他もろもろあります。変化があったとしても関係を維持したり修復できたりという能力は、セラピーの外でも、人間関係を維持・修復するのにも役立ちます。特に生じることとして、セラピストの休暇(またはクライアントの)は、クライアント側にとって「代理の親」としてのセラピストの在・不在と、その影響に思い当たるのに役立つきっかけとなります。一部の重篤な患者を除いてになるのではないかと思いますが、セラピストがべたーっと365日いるような状態では、決してクライアントの成長や自立には役立たないでしょう。愛着関係のやり直しと言っても、文字通りいっしょに暮らして毎日やり取りするわけではなく、あくまでセラピーのセッションの中や構造を使って、それを改善していくのです。
愛着というとつい子どもと親のことと考えられがちですが、愛着関係は一生涯に渡りつづくもので、親やパートナーだけと形成されるものではありません。また、セラピーなど治療的関係を使って形成・変化させていくことも可能なものです。よくセラピストとある程度以上心理的に近づくことを「依存」と呼び怖がったり、回避したりする方がいらっしゃるのですが、「依存」というよりは愛着欲求から来ているのではないかと思われます。 回避しつづけている限りそこを超えてより充実した人間関係を築いていくのは難しくなってしまうのでは、と思います。それを仮に「依存」と呼ぶとして、セラピーはその段階を抜け最終的には自立するように助けるプロセスであると言えるでしょう。そして自立とは、「愛着がない」状態ではないのです。
参考文献: 井上建治・久保ゆかり編『子どもの社会的発達』(1997年、東京大学出版会)